ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.8


. 春と修羅・初版本

17(その大學の昆蟲学の助手は
18 こんな車室いつぱいの液体のなかで
19 油のない赤髮(け)をもぢやもぢやして
20 かばんにもたれて睡つてゐる)

乗り合わせた乗客は、座席で眠っています。

「こんな車室いつぱいの液体のなかで」──車外の「寒天」のような‘濃い’空気が車内にも入り込んで、黄色っぽい電灯のあかりに充たされたウェットな空間になっています。

21わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに
22ここではみなみへかけてゐる

さきほどのふしぎな駅は、もう通り越してしまったようですが、いまは列車の走り方が異様です。
外が暗いので、どちらへ走っているのかよく分からず、錯覚を起こしそうになるのです。レールの継ぎ目の音と揺れで、走っていることは分かるので、ともすると逆の運行を感じてしまいます。
作者は、ひたすらに北へ向かって行こうとしているのに、何か解らない力に引き戻されている感覚があります。

23燒杭の柵はあちこち倒れ
24はるかに黄いろの地平線
25それはビーアの澱(をり)をよどませ
26あやしいよるの 陽炎と
27さびしい心意の明滅にまぎれ
28水いろ川の水いろ驛
29(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
30汽車の逆行は希求の同時な相反性
31こんなさびしい幻想から
32わたくしははやく浮びあがらなければならない

「燒杭の柵」は、さきほどの「枕木を燒いてこさえた柵」(9行目)です。線路の柵として、昔はごくふつうでした。
「小岩井農場・パート4」でも、私設電話線の柱が傾いているようすを書いていました。そこでは:

29そのキルギス式の逞ましい耕地の線が
30ぐらぐらの雲にうかぶこちら
31みぢかい素朴な電話ばしらが
32右にまがり左へ傾きひどく乱れて

とあって、農場のたくましい風景の一部としてでしたが、
ここの「燒杭の柵」は、むしろ荒れ果てた感じです。

「あやし」さ、「さびし」さ、そして、旅の前途への不安をあおります。

夜明けが近くなったせいで、地平線がうっすらと黄色く光って見え☆、濁ってゆらゆらと揺れています。「ビーア」はビール。

☆(注) 詩行は、このあとまだ200行ほどは夜のままですから、夜明けになるのは、まだ早いようです。ほかの点から見ても、「青森挽歌」は、現場でのスケッチメモを、相当に入れ替えたり再構成して仕上げています。つまり、取材した「そのとほり」の記録という・これまでの方法からやや脱して、“作品世界”を構成しようとする意図が見られるのです。“無声慟哭三部作”で(賢治としては、状況に強いられて、いやおうなく)試みたフィクションという方法が、身についてきたのではないでしょうか。

27さびしい心意の明滅にまぎれ

「心意の明滅」とは、作者には予想もできず突然にやってくる・感情の急激で無軌道な起伏です★
26行目までの黄色く怪しい夜の野原は、作者の「さびし」さをきっかけにして、がらんとした「水いろ」の《心象》に変ります:

★(注) 「序詩」には、「風景やみんなといっしょにせわしくせわしく明滅」するとありましたが、賢治の《心象》は、感情の起伏や変化によって、たえまなく変転し飛躍するものでした。「心象スケッチという難事業について、第一の難関は、この一度に飛躍し、無軌道に奔翔する心象の明滅を、どんな風にして詩に書き表わすかという問題である。」(宮沢清六『兄のトランク』,ちくま文庫,p.104.)

28水いろ川の水いろ驛
29(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
30汽車の逆行は希求の同時な相反性

必ずしも、次の駅を通過したと考える必要はないでしょう。さきほどの「なつかしい陰影〔…〕黄いろなラムプ」の駅を、回想の中で、「水いろ川の水いろ驛」と呼んでいると考えてもよいと思います。
川の青い水底に駅がある《心象》です◇

◇(注) 列車は、鉄橋で川を渡ったのかもしれません。29行目は、【印刷用原稿】上で、「おそろしいあの水いろの空間だ」⇒「…水いろの空虚な波だ」⇒「…水いろの空虚なのだ」と変遷しています。中間形にある「波」は、川からの連想でしょう。なお、少し先に『水の旅』という歌の一節が出てきますが、ここで“流れる水”の想念が、「わたくし」の脳裏に挿まれたことを覚えておきましょう。
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