ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.1.86
そして、夜中の時刻に書いた「尋常一年生」の部分も、もともとのスケッチ・メモでは、少年の乗客の姿が描かれていたのを、推敲の過程で、青い目の「ドイツの尋常一年生」に“モディファイ”したと考えられます。
夜明けの時刻に、その子供がいるのを思い出して、「その右側の中ごろの席」だったと書いた部分は、下書きとして残ったのでしょう。
夜中→明け方の時間経過に対応して、「尋常一年生」シーンの「そこらは青い孔雀のはねでいつぱい」(33行目)も、「青森挽歌 三」では、「青ざめたあけ方の孔雀のはね」となっています。
「やはらかな草いろの夢」は、いかにも牧歌的な、やすらかな寝顔のイメージです。
夜中に「ぱつちり眼をあ」いていた少年は、今は、すっかり疲れて眠っているのでしょう。
. 青森挽歌 三
「『まるっきり肖たものもあるもんだ、
法隆寺の停車場で
すれちがふ汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。』
父がいつかの朝さう云ってゐた。」
↑さきほども引用しましたが、詩の流れから考えれば、トシの死後(1923年春の可能性が高い)に、政次郎氏が汽車に乗っていて、擦れ違った列車にトシにそっくりの子供☆が乗っているのを認めたということになります。
☆(注) トシは死亡時24歳でしたから、同年代の人を見間違えたのだとしたら、「わらす」とは言わないはずです。
「まるっきり同じわらすさ。」という言い方は、控え目ながら、“自分にはトシ本人にしか見えなかった。トシが遠くで生きているとしか思えない。”と言っているように聞こえます。
↓つぎは、賢治の体験です。
「そして私だってさうだ
あいつが死んだ[次の]十二月に
酵母のやうなこまかな雪
はげしいはげしい吹雪の中を
私は学校から坂を走って降りて来た。
まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
その藍いろの夕方の雪のけむりの中で
黒いマントの女の人に遭った。
帽巾に目はかくれ
白い顎ときれいな歯
私の方にちょっとわらったやうにさへ見え
( それはもちろん風と雪との屈折率の関係だ。)
私は危なく叫んだのだ。
(何だ、うな、死んだなんて
いゝ位のごと云って
今ごろ此処ら歩てるな。)
又たしかに私はさう叫んだにちがひない。
たゞあんな烈しい吹雪の中だから
その声は風にとられ
私は風の中に分散してかけた。」
[ ]は、手入れによる挿入。
「酵母」:⇒画像ファイル・酵母
「死んだ次の十二月」は、1922年12月。吹雪の夕方に、花巻の町の洋服店のガラス戸の前で、トシにそっくりの「黒いマントの女の人」を見かけて、「何だ、おまえ、死んだなんて、よさそうなことを言って」と、思わず叫んでしまったと言うのです。
作者のその叫び声は、吹雪の風の中に掻き消え、作者は、吹雪の中を一目散に走って逃げたと言うのです。
なぜ逃げたのでしょう?‥人違いが恥ずかしいだけなら、「風の中に分散してかけた。」とまで言わないと思うのです。
やはり、“死んだ妹が生きて歩いている”という・ありえない現象を見てしまった恐怖からだと言わなければなりません。
これら2つのエピソードは、この詩の中でもっともリアリティーのある話だと、ギトンは思うのです。“シゲの夢”も、ありそうな出来事ですが、堀尾氏の聞き取り(シゲの談話)と比べると、やはり細かいリアリティーが削り落とされてしまっています。
おそらく、トシが死んで何年かのあいだ、家族はみな、トシがまだどこかで生きているような感覚を、じっさいに持っていたのではないかという気がします。若い女性が結婚前に亡くなったのですから、家族は無念の思いを振り切れなかったと思うのです。
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