ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.79


. 春と修羅・初版本

215巻積雲のはらわたまで
216月のあかりはしみわたり
217それはあやしい蛍光板になつて
218いよいよあやしい苹果の匂を發散し
219なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる
220青森だからといふのではなく
221大てい月がこんなやうな曉ちかく
222巻積雲にはいるとき……
223 《おいおい、あの顔いろは少し青かつたよ》

↑これとほぼ同じ内容が、「青森挽歌 三」にもあります。今度は全体を見たいと思います:

. 青森挽歌 三

「仮睡硅酸の溶け残ったもやの中に
 つめたい窓の硝子から
 あけがた近くの苹果の匂が
 透明な紐になって流れて来る。
 それはおもてが軟玉と銀のモナド
 半月の噴いた瓦斯でいっぱいだから
【 《 願以此功徳 普及於一切》】
 巻積雲のはらわたまで
 月のあかりは浸みわたり
 それはあやしい蛍光板になって
 いよいよあやしい匂か光かを発散し
 なめらかに硬い硝子さへ越えて来る。
 青森だからといふのではなく
 大てい月がこんなやうな暁ちかく
 巻積雲にはいるとき
 或ひは青ぞらで溶け残るとき
 必ず起る現象です。 」
   
【 】は手入れにより削除。




文章の構造からみると、「仮睡硅酸の溶け残ったもや」は、列車の外ではなく、客室の中、ないし作者の脳裏にある“眠け”の靄と思われます。
その靄の中へ、車外から、窓ガラスを透過して「苹果(りんご)の匂」が流れて来ます。においは、172行目の「そらの楽音」と同様に、「透明な紐になって流れて来」るのが見えます。

「それは‥‥だから」で、英語の because ..., のように理由をあらわす副文。「おもて」、つまり、車外の大気は、「軟玉と銀のモナド」のようなガス(半透明の朝霧)でいっぱいだから、その影響で「苹果の匂」が流れて来ると言うのです。

車外の「ガス」(朝霧)は、ウロコ雲の向こうにある・朝方の溶け残った「半月」が噴いたものだと言います。
「半月」の発散する光は、「巻積雲のはらわたまで〔…〕浸みわたり」、「あやしい蛍光板になって/いよいよあやしい匂か光かを発散し」、そして、列車の硬い窓ガラスさえ「なめらかに」透過して来ると言うのです☆

☆(注) ちょっと気になるのは、8月初めなのに、客車の窓は閉めきっていたのでしょうか?‥SLの場合、窓を開けておくと機関車の煙が入って来ますから、なるべく閉めるのかもしれません。夏とはいえ明け方で、涼しい時刻です。

つまり、窓ガラスを越えて車内に入って来る「苹果の匂」の正体は、「半月の噴いた瓦斯」であり、それは「月のあかり」が、上空のウロコ雲に「浸みわた」って「蛍光板」となって発散したものだと言うのです。

つまり、本物のリンゴ(リンゴ畑など)が発散しているわけではありません。青森県でも、この地域(八戸〜野辺地)では、リンゴを栽培していないのです★

★(注) 鈴木健司,op.cit.,p.148.
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