ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.7


. 春と修羅・初版本

8けれどもここはいつたいどこの停車塲だ
09枕木を燒いてこさえた柵が立ち
10(八月の よるのしづまの 寒天凝膠(アガアゼル))
11支手のあるいちれつの柱は
12なつかしい陰影だけでできてゐる
13黄いろなラムプがふたつ點(つ)き
14せいたかくあほじろい驛長の
15眞鍮棒もみえなければ
16じつは驛長のかげもないのだ

この・深夜に通過した(あるいは停車した?)駅の描写は、ひじょうに不可解な点があります。「真鍮棒」は、タブレットに変る前の単線の通票☆で、通過する列車にも渡すものなのに、それが「みえない」。そして、「せいたかくあほじろい驛長の」と言っておいたあとで、「じつは驛長のかげもないのだ」──駅長は、プラットホームにいないのだ、というのです。

☆(注) 単線の鉄道で、上り列車と下り列車が衝突しないように、駅ごとに駅長が運転手に渡す区間通行許可証の役割をするタブレットまたは棒。次の駅で回収され、次に逆方向に入る列車に渡されて、もとの駅に戻される。なお、鈴木氏の調査によれば、この1923年には東北本線は、すでにタブレットに変り、真鍮棒は使われていなかったそうです。その点からも、この駅の描写は幻想またはフィクションと思われるのです:鈴木健司,op.cit.,pp.142,148. 列車が停車した通過したのか、賢治は何も書いておらず、曖昧ですが、その点をあえて実証的に突き止めようとするのは(詩の内容から時刻を割り出して、ダイヤで通過駅か停車駅か調べるなど)、ギトンはあまり意味がないと思います。なお、各駅停車でも通過する駅はあります。時刻表によると、乙供駅は通過駅でした。

幻覚の中で、半分この世の駅でないような処に、迷い込んでしまった感があります。
7行目までの「りんごのなかをはし」った後ですから、ここは夢幻的に読んでおいてよいと思うのです。

「枕木を燒いてこさえた柵」──線路の両側にある柵ですが、最近はきれいな柵になってしまって、都会ではあまり見られなくなりました:画像ファイル:古枕木の柵

「よるのしづま」は、“夜のしじま”の方言(?)でしょう。しじま【静寂】:物音一つせず,静まりかえっていること。

「八月」──列車に乗っている間に8月に入りました。しかし、虫の声ひとつせず、風も吹かない中で、寒天のように固まった異様な静寂が支配しています。

「寒天凝膠」に、「アガアゼル」とルビが振ってあります。

「アガア」は、寒天にあたる西洋のお菓子。寒天より軟らかくて無色透明です:画像ファイル・アガー ゼラチン・アガー・寒天の違い
アガーは、カラギーナン(海藻の抽出物)、ローカストビーンガム(マメ科の種子の抽出物)などを混合したものだそうです。現在、コンビニなどで半円形の透明なパッケージに入って売られているフルーツゼリーが、アガーらしいです。

「ゼル」は“ゲル”、固まった状態のコロイド。寒天や膠(にかわ)のように、全く流れない状態です。

つまり、「アガアゼル」とは、透明なままプリプリに固まった状態ということになります。

「水族館」の水槽のけしき、「水素のりんごのなか」などと表現してきた・さきほどからのウェットな風景の濃度が高まり、もう固まって動かなくなりました。

「支手のあるいちれつの柱」「黄いろなラムプがふたつ」は、プラットフォームの設備。

「黄いろなラムプ」が二つだけともり、支柱は「なつかしい陰影」を落としている暗いプラットフォームです。しかし、作者は、どこの駅なのか、思い出せません。

そして、駅長もいなければ、乗客も誰もいないのです。




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