ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.77


これに対して、想像力が働くのを支持する考えが、反論します:

. 春と修羅・初版本

197けれどもとし子の死んだことならば
198いまわたくしがそれを夢でないと考へて
199あたらしくぎくつとしなければならないほどの
200あんまりひどいげんじつなのだ

予想外のできごとに逢着した場合、そのできごとから相当時間が経って、すでにそれを既定の事実として日常生活が営まれるようになったあとでも、人の感覚は、“できごと”以前に戻ってしまうことがあります。

その場合、なにかのきっかけで、“できごと”が意識に顕在化すると、そのたびに“できごと”の衝撃を追体験してしまうことになります。
↑上の場合、賢治にとって“トシの死”は、まさにそういうできごとであったわけです。

それは、肉親の死という通常の意味でもそうでしたし、徐々に確立されつつあった賢治の“見者の自我”に対して、《他者》の壁が、破壊的ともいえる衝撃を与えたという意味でも、そうだったのです。

201感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
202それをがいねん化することは
203きちがひにならないための
204生物体の一つの自衛作用だけれども
205いつでもまもつてばかりゐてはいけない
206ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
207あらたにどんなからだを得
208どんな感官をかんじただらう
209なんべんこれをかんがへたことか

「序詩」に:

「これらについて人や銀河や修羅や海膽は
 宇宙塵をたべ、または空氣や鹽水を呼吸しながら
 それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
 それらも畢竟こゝろのひとつの風物です」

とあったように、「概念化」を停止して、「概念」となる一歩手前の現象を記録(記述)していこうとするところに、この『心象スケッチ 春と修羅』における作者の基本的な志向があるのでした。

ここでも、トシの“死”直後の時点での状況を“透視”しようと企てるにあたって、「概念化」によって失われてしまう“生き生きした現象”の生成の場へと遡ることに、作者は何よりも力を注いでいるのです。

ですから、『倶舎論』などの教義や理論は、あくまでも枠組みを提供するものにすぎません。

そして、そのような“現象への溯行・没入”によって、賢治が目指したのは、

「あいつはここの感官をうしなつたのち
 あらたにどんなからだを得
 どんな感官をかんじただらう」

という疑問の追求でした。
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