ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.58


. 春と修羅・初版本

165そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ
166あまりにもそのたひらかさとかがやきと
167未知な全反射の方法と
168さめざめとひかりゆすれる樹の列を
169ただしくうつすことをあやしみ
170やがてはそれがおのづから研かれた
171天のる璃の地面と知つてこヽろわななき

“天上”の湖水面は、鏡のように光を全反射するので、われわれの世界からは“天上”の風景が全く見えない──という《異界》観なのでしょうか?☆

☆(注) そう解説されることが多いのですが、ギトンは、この「未知な全反射」は、湖水を上から、つまり天界のほうから見たときに、鏡のように完全に風景が映って見えることを言っているのだと思います。上の詩行に即して読めば、そうなるはずです。すでに作者が明らかにしているように、天界は、《異世界》であって、われわれには感覚できない《第四次延長》の世界なのです。その“湖水面”の裏側などが、われわれの世界から見えたらおかしいのです。

その湖水面に、“天上”の樹木の揺れる姿が、鏡のように完全に映っています。そして、その湖水面は、「天の瑠璃の地面」にほかならないと言うのです。

「瑠璃(るり)」★は、ラピスラズリ(lapis lazuli)の和名で、青金石(lazurite,ラズライト:Na8-10Al6Si6O24S2)を主成分とするガラス質(固溶体)の鉱物です。深い青色〜藍色の宝石で、しばしば黄鉄鉱の粒を含んでいるために、夜空の星のような輝きを伴います。石言葉は「尊厳・崇高」など:画像ファイル・ラピスラズリ(瑠璃)
古代から高貴な宝石とされ、エジプトのツタンカーメン王の“黄金のマスク”も、純金(23金)とラピスラズリの組み合わせで造られています。

★(注) 【印刷用原稿】では「瑠璃」。《初版本》で「る璃」となっているのは、「瑠」の活字が間に合わなかったせいと思われます。

さて、このへんで少し、賢治の“天界風景”のもとになっている仏典などを、参照しておきたいと思います。

ここで、“天界”につづいて、トシの“行き先”についてのさまざまな想定を描いた後で──地獄らしい世界も描かれます──、作者は、

. 春と修羅・初版本

206ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
207あらたにどんなからだを得
208どんな感官をかんじただらう
209なんべんこれをかんがへたことか
210むかしからの多数の実験から
211倶舎がさつきのやうに云ふのだ
212二度とこれをくり返してはいけない

と書いています。

「倶舎がさつきのやうに云ふのだ」の「倶舎」は、4世紀(一説によると5世紀)の大乗仏教学者・世親(ヴァスバンドゥ)が著した『阿毘達磨倶舎論(あびだつま・くしゃろん)』、略して『倶舎論』とも言います。“阿毘達磨”(アビダルマ; "法について"の意)は、仏教教義の解説書のことです。

「アビダルマ(阿毘達磨)とは何か。それは、シャカムニ・ブッダの教えを、ブッダ没後三百──九百年ごろの学僧たちが研究し、解明し、組織づけて、一つの思想体系にまとめあげた知的努力を意味する。

 そして、その努力の結果として生み出された種々の著作──教義の解説書・綱要書・論述書など──も、おなじくアビダルマの名で呼ばれる。」


●(注) 櫻部建・ほか『存在の分析〈アビダルマ〉』,仏教の思想2,1996,角川文庫10181,p.18.

「さつきのやうに云ふのだ」は、この間に描いた“天界”“地獄”などのようすを指しています。それらは、『倶舎論』に基いているのだ、というわけです◇

◇(注) もちろん、賢治が描いている“天界”“地獄”などは、『倶舎論』そのままではなくて、賢治独自の構想が大きいと思います。詳しくは、のちほど比較検証したいと思います。

世親は、はじめ上座部(小乗仏教,原始仏教)の「説一切有部」という宗派に属する学者でしたが、兄の無著(むちゃく; アサンガ)の薦めで大乗仏教に改宗しました。

当時、仏教の教理は、昔からある小乗仏教のほうに厖大な蓄積がありました。世親が、「説一切有部」にいた時に、同部を中心として小乗仏教のこみいった学説を理路整然とした形に整理して解説したのが、『阿毘達磨倶舎論』なのです◆

◆(注) 「説一切有部の説を中心に他部派の説も加えて仏教哲学の基本的問題を整理したもの」。第3章“世間品(せけんぼん)”で、世界の構成を述べ、第4章“業品(ごうぼん)”で、輪廻の原因となる業(ごう)について述べています。(ウィキ)

そういうわけで、“宇宙のしくみ”、“輪廻転生のしくみ”、とか“死後の世界”とかいうことになると、『倶舎論』には、ひじょうにきれいにまとめられています。それらは、もとをたどれば、インド神話に基いているのです。

中国や日本の大乗仏教でも、こうした“宇宙論”の部分については、『倶舎論』を参照しているのだそうです。
ちょうど、キリスト教が、旧約の天地創造を信じているのと同じことなんでしょうね。
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