ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.57


「大循環の風」とは、“大気の大循環”の一部をなす上昇気流のことです。

“大気の大循環”は、太陽熱で地上・海上の気塊が暖められて上昇する運動と、地球の自転運動が原因になって起こる大気圏の対流現象で、

   ハドレー循環(赤道で上昇→亜熱帯高気圧帯で下降→偏東貿易風となる)、

   フェレル循環(亜熱帯高圧帯→偏西風亜寒帯低圧帯で上昇)、

   極循環(極地域で下降→亜寒帯低圧帯で上昇)

があります☆:画像ファイル:地球大気の大循環

日本付近(北緯30゚〜60゚)は、偏西風で吹き寄せられた大気が上昇する亜寒帯低圧帯なので、上昇気流が卓越しています。低気圧ができやすく、雲や雨が多いのも、そのためです。

☆(注) 稗貫農学校1922年入学・松田奎介氏の回想によると、5月に行われた期後募集の入学試験の試験官は賢治で、「世界の気流の循環について」という出題があったそうです。佐藤成『証言 宮沢賢治先生』,pp.120-121.

. 春と修羅・初版本

154それらひとのせかいのゆめはうすれ
155あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
156あたらしくさはやかな感官をかんじ
157日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
158かがやいてほのかにわらひながら
159はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
160交錯するひかりの棒を過ぎり
161われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
162それがそのそのやうであることにおどろきながら
163大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
164わたくしはその跡をさへたづねることができる





「羅」は、ふつうは“うすぎぬ”と読みます。古代の目の粗い麻の織物で、向こう側が透けて見える布です。仏像が身にまとっているきれが「羅」です。もともと仏像が作られたのは熱帯ですからねw:画像ファイル:羅・瓔珞


「日光のなかのけむりのやうな羅」と言っていますから、ここの「羅」は、もう‥ほとんど見えないくらいの薄いモヤのようなものなんですね。つまり、ふつうの麻の薄物ではなく天人の衣です。

ちなみに、「羅」だけは、じっさいに着てる画像が無いんですね。肌丸見えですからね‥誰かモデルやりませんかね?

つまり、転生しているので★、今までの人間だった時の感覚と違う別の感覚が生じていて、身体のまわりに、天人のころもが感じられる‥天界では、欲望が少なくなりますから、感覚もほのかなんですね。

★(注) あとで説明しますが、この段階でのトシの状態は、まだ生まれ変わる前の‥“中有”という過渡状態と考えられているようです。

「かがやいてほのかにわら」う、「はなやかな雲」、「つめたいにほひ」──いずれも、賢治が考える天界と天界の人のイメージです。

「交錯するひかりの棒」:スポットライトの光芒のようなものがたくさん差していて、たがいに交差するさまを想像すればよいと思います。もちろん、これは「ひとの世界」のそらではなく、もう《異次元》の世界です。

162それが[]そのやうであることにおどろきながら

つまり、トシがこれまでに体験したことのない“別の世界”であることを示しています◇

◇(注) しかし、論理的につっこんでみると、ちょっと変です。というのは、「ひとの世界」の感覚を記憶していなければ、「おどろ」くことはできないからです。つまり、人間だった時から記憶が続いていることになります。これでは、“霊魂不滅”と変らなくなってしまいますが、‥ともかく、賢治のイメージする“死後”は、厳密に仏教のとおりではなくて、多分にメルヘンなのです。
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