ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.56


そして、…ギトンは推測するのですが…“日の永い場所に居る”という“トシのつぶやき”こそが、賢治を《北》へ向かわせたのではないかと思うのです。

“日の永い場所”とは、地球上ならば、高緯度地方です。地球物理学の素養を持つ☆宮沢賢治であれば、まずそのように考えるのではないでしょうか?‥そして、行くならば夏‥‥真夏の季節に、“白夜の世界”へ、可能な限り近づいて行くこと──これが、“トシの行くえ”を追いかけるために、賢治の思いついた方法だったのではないでしょうか?

☆(注) 宮沢賢治の“科学”と言えば、化学、地質学などが、まず頭に浮かぶかもしれません。しかし、賢治の師であった関豊太郎の専門は化学ではなく、物理学なのです。当時の地球科学(地学)の諸分野で、物理学に関連が深いのは、鉱物学(結晶構造は物理と数学の問題です)、気象学、地形学、潮汐学、天文学、地震学などでした。地震学を除けば、いずれも賢治の得意とする分野ではありませんか‥

. 春と修羅・初版本

149  わたくしはどうしてもさう思はない
150なぜ通信が許されないのか
151許されてゐる、そして私のうけとつた通信は
152母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ
153どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう

149行目の「さう」は、148行目までの内容、つまり、トシ子が風の吹く林の中でさまよい、鳥になったという想像です。

しかし、153行目の「さう」は、何でしょうか?テキストから文法的に読み取れば、“私がトシからの通信を受け取ったこと”、“母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじ”通信を受け取ったこと、です。

なぜ、「此処あ日あ永あがくて/一日のうちの何時だがもわがらないで」を、トシからの通信だと思わないのか?‥それは、トシが苦しんでいるように思われるからではないでしょうか?‥死者が苦しんでいる場所とすれば、仏教の観念では、「ひとの世界」よりも下方の諸世界──修羅道、餓鬼道、地獄──ということになります。

いずれにせよ、「風林」でも、この‘通信’を、「巨きな木星」という《異界》の《心象》とともに述べていたように、この呟きは、どこか《異世界》を思わせます。しかし、どうも《天界》らしくはない。‥浄福な世界には思えない。‥だから、「さうと思」いたくない‥だから、《北》へ向かおうとしているのです。。。

いま、賢治は、〔α〕「ひとの世界」の中での転生、〔β〕《異世界》への移行、という2つの想定の間で揺れ動いているのですが、

154行目以降は、意を決して、〔β〕の想定を展開して行きます。すなわち、賢治はここで、われわれの「ひとの世界」の中での想像を離れ、“感情移入”による“内観”という科学的方法も捨てて飛躍するのです:

. 春と修羅・初版本

154それらひとのせかいのゆめはうすれ
155あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
156あたらしくさはやかな感官をかんじ
157日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
158かがやいてほのかにわらひながら
159はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
160交錯するひかりの棒を過ぎり
161われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
162それがそのそのやうであることにおどろきながら
163大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
164わたくしはその跡をさへたづねることができる

「それらひとのせかいのゆめ」とは、トシ子が“死亡”のあとで、まだ体温のある身体の中で見ていた幻夢を指します。シゲの夢の中に出てきた“落葉ばかりの野原”や、“鳥に転生する夢”をも含みます。つまり、ここで作者は、153行目までに述べた“死後の情景”は、すべて単なる「ひとのせかいのゆめ」に過ぎないとして否定し去るのです。

もっとも、155行目に「あかつきの薔薇いろ」とあるように、明け方の時間帯であるという「ひとの世界」の時間は、なお残されているようです。

しかし、「われらが上方とよぶその不可思議な方角へ」「大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた」、つまり“昇天”して行ったことが述べられます。

つまり、ここで描かれている上昇は、われわれの世界における大気圏中の上昇ではなく、“異なる世界”への移行なのです。“大循環の風の中を昇って行った”ではなく、「大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた」と書かれているのです。
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