ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.1.55
鈴木健司氏は、「風林」の・この部分について、これは、“天界に転生した”というトシからの通信であり、「望ましい知らせであった」としておられます:
「賢治は詩『風林』〔…〕において、妹とし子からの「通信」を得たことになっている。〔…〕
賢治は、日の永い世界に転生したとし子からの通信を得たのである。それは賢治にとって望ましい知らせであったはずだが、その知らせに賢治は確信がもてなかったらしい。〔…〕
『いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ』とは、車中の夢の中にとし子が現れ、とし子が日の永い世界(おそらく天を意味する)に居ることを知ったのだろう。賢治にとっての《夢》とは、『科学に威嚇されたる信仰』と題されたメモ『異空間の実在 天と餓鬼/幻想及び夢と実在』から推定し得るように、『異空間』の実在を実感において支えるものであった。
ただ、賢治は、『どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう』と母や自分の見た夢に対し、望ましい世界に転生したとし子からの通信としての確信をもつことが出来なかった。」(『宮沢賢治という現象』,pp.186-187)
しかし、ギトンがこれについて抱く疑問は、そもそも「此処あ日あ永あがくて/一日のうちの何時だがもわがらないで」という‘通信’ないし呟きは、その言い方自体を見ても、とうていこれが、“天界に生まれた”というような浄福な状態で発せられたとは思えない、という点にあります。
また、トシが《異空間》にいるという点についても、「風林」を、もう少し前から引用しますと:
「おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ
(ああけれどもそのどこかも知れない空間で
光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか」
ここには、「木星のうへ」、夜空の「むかふ」、「そのどこかも知れない空間」という3つの、互に一致しない想定が並立しています。木星の自転周期は地球より短いので、「木星のうへ」は“日の永い世界”ではありません(賢治は天文学の知識として知っていたはずです)。
もし、この3つの記述を総合するならば、(目に見える木星ではなく)夜空の背後に“幻視”される《異界》の「巨きな木星」、すなわち《異空間》の《木星》──そこにトシがいるのか?──ということになるでしょう。
それが、「風林」での賢治の真意、彼が描こうとした《心象》かもしれません。
それは、鈴木氏の言われる仏教的な意味での《天》とは異なるイメージです。
すなわち、「風林」に描かれている「鋼青壮麗のそらのむかふ」「そのどこかも知れない空間」を、直ちに仏教的な《天界》とみなすことはできないと思うのです。私たち読者には、そのように読めないし、作者賢治にも、そうは思えなかったでしょう。
したがって、賢治は、“天界に転生した”というトシからの通信を受け取った──とは、思っていなかったことになります。
そうであればこそ、上で引用したような、トシが、この「ひとの世界」の中で“鳥に転生した”というメルヘン的な詩的想像を、「青森挽歌」に書き込んだのですし、これから見て行くような(154行目以下の)トシのさまざまな“転生”場面の推定描写を展開しているのです。
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