ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.52


しかし、これに続く140行目以下では、作者は、ややセンチメンタルな詩情に導かれて、トシの“行くえ”に関する想像を展開して行きます。それは、シゲの夢に現れた情景──さびしい野原──をもとに、賢治の思索を加えてイメージしたストーリーの展開です。「青森挽歌」の詩行には、「さびしい野原」という言葉は現れていませんが、堀尾青史氏の聞き取ったシゲの談話を見れば、賢治は、シゲから聞いた夢の内容をもとにして、自分の随想を発展させていることは、明らかです。

むしろ、堀尾氏の聞書きを先に読んだほうが、140行目以下は、よりよく理解できるほどなのです。

「シゲは、落葉ばかりのさびしい野原をゆくゆめを見る。自分の歩くところだけ、草花がむらがって、むこうから髪を長くたらした姉が音もなく近づいてくる。そして『黄色な花コ、おらもとるべがな』ときれいな声で言った。」
(堀尾青史,a.a.O.)

↑つまり、そこ(夢の中の野原)は、落葉ばかりが落ちていて生きた草は無い“死の野原”なのです。ただ、生きているシゲの歩いている場所だけ、草花が群がって咲いている。そして、トシは、“死の野原”を、幽霊のように「髪を長くたらした」かっこうで、「音もなく」近づいて来るのです。そして、透きとおった「きれいな声」を出したと言うのです。

. 春と修羅・初版本

137落葉の風につみかさねられた
138野はらをひとりあるきながら
139ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ
140そしてそのままさびしい林のなかの
141いつぴきの鳥になつただらうか
142l'estudiantina を風にききながら
143水のながれる暗いはやしのなかを
144かなしくうたつて飛んで行つたらうか
145やがてはそこに小さなプロペラのやうに
146音をたてヽ飛んできたあたらしいともだちと
147無心のとりのうたをうたひながら
148たよりなくさまよつて行つたらうか
149  わたくしはどうしてもさう思はない

「そしてそのままさびしい林のなかの/いつぴきの鳥になつただらうか」という詩的想像は、シゲの夢の中の「さびしい」“死の野原”をさまようトシ、という情景からの発展だとすれば、すなおに了解できるのではないでしょうか?

142行目の「l'estudiantina」(発音[スペイン語式]: レストゥディアンティナ)は、フランスの作曲家エミール・ワルトトイフェル(1837 -- 1915)のワルツで、英語では“Band of Students Waltz”といいます。

ワルトトイフェルは、ナポレオン3世の時代に宮廷舞踏場の指揮者を務めた純然たるフランスの音楽家で、苗字がドイツ風なのは、独仏国境のアルザス出身のユダヤ系家庭だからです。スケーターズ・ワルツが有名ですが、ぜんぶで268のワルツ曲を作ったそうです。

「l'estudiantina」は、もともと別のフランス人 Paul Lacome が作曲した歌曲を、ワルトトイフェルがピアノ連弾用とオーケストラ用に編曲したもので、“estudiantina”は、スペイン語で“学生バンド”という意味だそうです。

スペインの大学には13世紀ぐらいまで遡るトゥナ(Tuna)と呼ばれる・マンドリンとギターの音楽隊があって、伝統衣装を纏って流しながら練り歩いたそうです。ドイツだと“カルミナ・ブラーナ”って言います。まぁ‥チンドン屋の高級なやつだと思えばいいのかも。

ちなみに、最近は日本でも各大学・高校に吹奏楽団がありますけど、彼らも街で流してみたらいいんでは?

こちらは楽譜の表紙⇒:音声・画像ファイル:エストゥディアンティナ

「エストゥディアンティナ
 ワルツ組曲
 P・ラコンムの
 名高い DUO ESPANOL [スペイン二重唱]
 に基づき
 エミール・ワルトトイフェルによって」

と書いてあります。

ところが、この曲、日本では題名を「女学生」と誤訳されたまま、有名になってるんですね。

“Estudiantina”をドイツ語の“Studentin”と混同したんでしょうかね??
この誤訳、音楽家の間では有名な話らしいんですが、いまさら直せないんでしょうか?! 今でも「女学生」以外の日本語題名は付いてないみたいです…
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