ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.51


このシゲの夢については、堀尾青史氏の『宮澤賢治年譜』(1991)には、次のように書かれています:

トシが息を引き取った後、
「重いふとんも青暗い蚊帳も早くとってやりたく、人びとはいそがしく働きはじめた。そして女たちは経かたびらを縫う。そのあけがた、針の手をおいてうとうとしていたシゲは、落葉ばかりのさびしい野原をゆくゆめを見る。自分の歩くところだけ、草花がむらがって、むこうから髪を長くたらした姉が音もなく近づいてくる。そして『黄色な花コ、おらもとるべがな』ときれいな声で言った。」(pp.152-153)

↑この部分は、「針の手をおいてうとうとしていた」「落葉ばかりのさびしい野原をゆくゆめ」「自分〔シゲ〕の歩くところだけ、草花がむらがって、むこうから髪を長くたらした姉が音もなく近づいてくる。」など、非常に具体的で、体験の生々しさが感じられる叙述があります。これは、堀尾氏がシゲさんから聞き取った部分と思われるのです。

つまり、134-139行は、じっさいにシゲが見た夢の情景であり、賢治もシゲから聞いて書いているわけです。

そこで、賢治は、シゲの見た夢の内容を聞いて、それを、トシの“眠れる意識”ないし《無意識》が、いまだ活動していた証拠と見ているわけです。

というよりも‥賢治の狙いはむしろ、トシが現れた肉親の夢の中の情況を手がかりにして、死後のトシの“行くえ”を追うことにあったというべきでしょう。

ただ、単なるシゲの夢の中の情景というだけでは、トシの“行くえ”の手がかりとする根拠がないので、トシの残っていた《無意識》の内容が、シゲの《無意識》の中へ移ってきた、という構成を考えたのだと思います。

たしかに、この情景は詩的であり、感動的ですらあります。

しかし、‥若干気になるのは、“夢が夢に移ってきた”という構成では、“トシがどこへ行こうとしているか”“どこへ行ったか”という賢治の探査目的に対しては、何ら手がかりの提供にならないのではないか‥ということです。

ともかく、この段階では、トシはまだ、「この世界」の中にいます。いちおう「この世界」の論理によって、トシの体験しつつある事態(“夢”をみていること)は説明できるのです。






. 春と修羅・初版本

134《黄いろな花こ おらもとるべがな》
...【それはたしかにあのあけがたの
...とし子の夢の中のことばなのだ。】
135たしかにとし子はあのあけがたは
136まだこの世かいのゆめのなかに【たち】ゐて
137落葉の風につみかさねられた
138野はらをひとりあるきながら
139ほかのひとの【つぶやく】[ことの]やうにつぶやいてゐたのだ

【印刷用原稿】のテクスト(【 】内)を参照しますと、シゲの夢の中に現れた「《黄いろな花こ おらもとるべがな》」というトシの言葉は、「とし子の夢の中のことばなのだ」と言うのです。

139行目は、《初版本》では、「ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ」ですが、【印刷用原稿】の最初の形では、「ほかのひとのつぶやくやうにつぶやいてゐたのだ」だったのです。

つまり、トシは、自分のしゃべる声を、まるで他人がしゃべっているように聞いている状態だった──自我の統覚を失った状態だったと、作者は言いたいのだと思います。
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