ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
34ページ/250ページ


7.1.33


しかし、ヘッケルの“一元論”は、純然たる無神論ではないとも言われています。ドイツ語版ウィキペディアから少し引用しますと:

「しかし、ヘッケルは厳格な無神論者ではなかった。

 たしかに彼は、あらゆる天地創造的行為を拒絶した(そのため、アルノルト・ブラースとケプラー派のような創造論者とは、激しく対立した)が、彼は、キリスト教的家庭で育ったので、自然を、無機的鉱物結晶に至るまで、魂あるものとして、見ていたのである。彼の一元論は、精神に貫かれた物質の一元論なのである。

 彼は、神を、一般的自然法則と同一のものとみなしたのであり、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやスピノザのインスピレーションを受けた汎神論の代弁者なのである。この関連では、ヘッケルはとりわけ“細胞記憶(Mneme)”と“結晶のたましい(Kristallseelen)”について語っている。」

↑この引用にある《結晶のたましい》☆について、ヘッケル自身の言葉を少し引いておきましょう:

☆(注) これに対して、“細胞記憶”のほうは、今日の生物学でDNAが果たしているような役割を、細胞質中の物質が担っていると考えていたようです。したがって、こちらのほうは、今日の水準で見れば、それほど特異な考え方ではありません。

「【結晶の生命】生命の概念を、本来の有機体に限ることなく、また原形質の機能とみなさないならば、広い意味での結晶の生命について語ることもできる。この生命は、なによりも、結晶の成長において現れる。〔…〕

 【感覚と運動】は、以前にはもっぱら動物の特性とされていた。しかし、現在ではすべての生物一般に認められている。いや、それどころか、結晶に対しても認めない理由は無い。

 結晶化作用において、分子はみな一定の方向に運動し、厳密な法則にしたがって重なり合うからである。そのさい、各分子は感覚を有していなければならない。もし感覚が無ければ、同種の分子が大量に引き付け合うことなど、起こり得ないからである。

 すべての化学反応におけるのと同様に、結晶の形成に際しても、運動が起きているのであって、それは感覚(もちろん無意識的な)なくしては、説明できないことである。この関係においても、すべての自然物体の成長は、同じ法則に基づいているのである。」

〔『生命の不思議』★(1904年):Ernst Haeckel: "Die Lebenswunder", pp.46-47,Kap.2., ギトン訳出。太字は訳者の強調〕

★(注) 宮澤賢治は、『生命の不思議』の原書を取り寄せて読んでいました。

このように、ヘッケルは、動物だけでなく、すべての物質が感覚を持っているとし、究極的には、原子や分子がそれぞれ感覚を持ち、他の原子・分子を見分けて、結合・分離の運動をすると考えていたのです。

つまり、動物ないし微生物をモデルとして、原子・分子の運動や反応をイメージしていたと言えます。

『生命の不思議』の別の箇所(第4章)では、すべての物質は知覚を持っている、あるいは魂(Seele, 心)を持っていると書いています。

それでは、ドイツ語版ウィキペディアからの引用の続きです:

「ヘッケルとフォークトによれば、物質とエーテルは、感情も意志も持っている
。物質もエーテルも『広がることに意欲を感じ、圧迫されることを嫌う。それらは、拡散しようと努力し、圧力とは戦う。』こうした世界像のゆえに、彼らは、物活論的自然哲学者だったと言えるのである」

◇(注) エーテルは、宇宙の物質(原子)と物質(原子)の間の空隙を埋めていると考えられた媒質。アインシュタインの特殊相対性理論の登場によって否定されましたが、当時はまだ一般に信じられていました。フォークト(Johann Gustav Vogt,1843--1920)は、ヘッケルの同僚教授で自然科学者。電磁気とエーテルの普遍的存在によって、自然現象を統一的に説明することを提唱しました。彼の理論は、ニーチェの『力への意志』に影響を与えたと言われています。

たしかに、そういう目で見れば、ヘッケルの著述には、自然科学だけでは理解できないようなことも書かれているのです。彼の述べる自然科学の説明(たとえば、7.1.32 で引用した質量保存則とエネルギー保存則の結合)自体、われわれが“科学”と考えているものとは、少し違う感じがします。

それゆえ、当時から、ヘッケルの著作は、科学というよりは“自然哲学”として受け取られていました。

例えば、進化論にしても、ヘッケルは、ダーウィンの進化論を支持しながら、その“適者生存説”は、受け入れなかったと言われています。むしろ、ヘッケルが発見し強調したのは、“個体発生は系統発生を繰り返す”という法則でした。そして、競争による淘汰ではなく、ラマルクの“用不用説”のように、個体が生存するために発達させた形質が、子孫に遺伝して行くという考え方◆を主張したのです。

◆(注) これ(獲得形質の遺伝)は、今日の生物学では、否定されています。個体が環境に適応して優れた形質を獲得しても、個体のDNAは変化しませんから、獲得形質が子孫に遺伝することはありえないのです。なお、ラマルクの著書は、マルクス主義とともに、ナチスによって焚書の対象とされました。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ