ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.32


ヘッケルの『宇宙の謎』(原著:1899年)は、1906年、1917年、1929年に、それぞれ別の日本語訳が出版されていますから、当時日本でも、広く読まれた本だと思います。

この本を見る限り、ヘッケルが主張しているのは、エネルギー一元論☆の自然科学に基づいて、物質(肉体)から独立した‘精神’の存在を否定し、来世、彼岸の世界も、宗教的な神も全否定したうえで、自然界を貫く諸法則のみを、唯一の真理と認める考え方のように思われます:

☆(注) アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)によって、物質はエネルギーの一形態とされ、質量保存則はエネルギー保存則に包摂されましたが、ヘッケルは、すでにアインシュタインよりも前から、同様のことを自然哲学的に主張していました。というか‥じつは、アルベルト・アインシュタインという人も、若い頃は非常に過激な“自由思想家”だったと言われています。“自由思想”のテーゼを、科学によって厳密に証明したのが、相対性理論を初めとするアインシュタインの諸定理だと言えるのかもしれません。“自由思想家”アインシュタインの一面は、1922年に来日した時にも、深い印象を与えています。たとえば、彼は日本の人力車を見て、“私は奴隷制を利用しない”と言って、乗るのを拒否して歩いたそうです。ちなみに、ミヤケンも、人力車に女性を乗せることはあっても、自分は乗らずに歩いたようです。

「われわれの一元論的世界観にとって、最も重要なことは、宇宙論のこの二大原則、すなわち、化学の物質保存に関する基本法則と、物理の力
〔ここではエネルギーのこと──ギトン注〕の保存に関する基本法則とが、分かちがたく表裏一体をなしているという強固な確信である。

 この二つの理論は、内的に結びついたものである。
 それはちょうど、両理論の対象、すなわち物質と力、あるいは質量とエネルギーとが、互いに結びついているのと、同様である。

 一元論的に思考する多くの自然科学者、哲学者には、両法則の根本的統一は、全く当然のことのように思われる。なぜなら、両法則は、唯一無二の対象、すなわち宇宙≠ニいうものの・あい異なる二つの側面を述べているにすぎないからである。」

〔『宇宙の謎』(1899年):Ernst Heckel:"Die Weltraethsel", Kap.12,"Einheit des Substanz-Gesetzes", ギトン訳出〕

ヘッケルは、心理学も、生理学の一部門と考えており、人間の思想や心も、究極的にはエネルギーに統一された科学法則によって説明できると考えていたようです★

★(注) 「雲からも風からも/透明な力が/そのこどもに/うつれ」(〔あすこの田はねえ〕#1082, 1927.7.10.)など、空の風などが吹き込んでくるエネルギーが、私たちの明るい気持や活動のもとになるという宮沢賢治の考え方も、もしかすると、ヘッケル(の誤読?!)に基いているのではないか、という気がしているのです。この点は、もっと追究してみる価値がありそうです。

そうした点から、おおざっぱに見れば、ヘッケルは“機械的唯物論者”のように思われますし、ごく最近まで、そういうレッテルを貼られてきたのでした。
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