ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.31

エルンスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel,1834--1919)は、ダーウィンの進化論をドイツで広めるのに貢献した医師・生物学者で、人類の起源については多地域進化説を唱えました。

動物分類学では、3500種以上の海洋生物の新種を記載し、「門」(「脊椎動物門」等)という分類単位を提唱しています。
生物画家としても優れ、クラゲ、放散虫など無脊椎動物のシンメトリーを図解研究した“Kunstformen der Natur(自然の造形)”(邦訳名『生物の驚異的な形』)が有名です:画像ファイル:ヘッケル

生態学という言葉を提唱したのもヘッケルだと言われてまして、最近では、エコロジーの先覚者としての再評価が進んでいます☆

☆(注) ヘッケルに関しては、@その生きた時代とその後しばらく(つまり宮澤賢治の生きた時代)は、とくに日本では、高い評価が一般でした(もっとも、丘浅次郎のような真面目な学者は、冷静な目で見ていたようですが‥)。Aしかし、戦後になると、ヘッケルは、とくにそのナチスまがいの優生学的な主張が取り上げられて、“ウルトラ・ダーウィニズム”として糾弾の対象になります。(それは実はヘッケル思想の一面にすぎないのでして、ナチスの“断種法”と直接の関係はなかったのですが。)Bその動きも落ち着いてきた1970年代以降は、先端科学の理論的行き詰まりや、ヨーロッパでのエコロジストの進出(西ドイツの“緑の党”など)に伴って、ヘッケルは、むしろ、現代科学が振り返ってみるべき先覚者として、再評価されてきたのです。/ところで、前のnまでに概観した「ヘッケル博士!」に関する各説の動きも、このようなエルンスト・ヘッケルに対する再評価の進行と、無縁ではないような気がします。かつて、ヘッケルが“頭のおかしいエセ科学者”のように見られていた戦後まもない時代には、“大聖人宮沢賢治様がそんな奴を尊敬するわけがない!”というわけで(笑)、ヘッケル≠ミヤケンの〔B〕説が主流でした。その後、欧米でヘッケルの再評価が進み、とくに最近のように、インターネットでヘッケルの原書や英独語版ウィキペディアの記事などが簡単に見られるようになると、無碍にヘッケルを否定できなくなって、〔A〕〔C〕説が増えてきたのではないかと、ギトンは思っているのですが。。。w

ヘッケルの当時、ドイツでは、進化論はまだ危険思想とみなされていましたが、ヘッケルは、非宗教的科学主義の立場で進化論を強固に主張し、多くの賛同者を得ました。歴史的社会的には、そうした思想家としての活動で広く知られたのです。

晩年のヘッケルは、キリスト教の“霊魂不滅説”を強く否定して、西欧近代哲学の“物質・精神の二元論”を激しく批判しています。ヨーロッパの“自由思想家運動”(無神論を主張する社会運動)に参加し、1904年にはローマ大会で“反教皇”に‘叙任’され、デモ行進をしたあと、ジョルダノ・ブルーノの銅像に桂冠を授与しています。

ちょっとここで、日本の読者にも分かりやすいように説明しますと、この“自由思想家運動”というのは、現在でもヨーロッパにありまして、ギトンも、むかし初めて接した時には、なんだかわけのわからない人たちだと思いました。日本には、そういうものはないからです。というのは、かんたんに言うと、これは、キリスト教、とくに新旧のキリスト教会全体に反対する運動なのだと思います。

日本にも、特定の宗派(たとえば創価学会)を攻撃する人はいますが、仏教全部を敵に回して攻撃する人はいないと思います。しかし、ヨーロッパの“自由思想家運動”は、まさにそういうものだと思えばよいのです。いかに過激な思想運動か、分かると思います。ただ、はっきりした政治色はないようです。“右”の人も“左”の人も入っています。

そして、ヘッケルは、その“自由思想運動家”たちから、“教皇”、つまり“教祖”のように崇められた人だということです。

これで、ヘッケルとはどういう人か、イメージが湧いたのではないでしょうか?w
さて、紹介を続けましょう:

ヘッケルの思想は、主著“Die Weltraethsel(宇宙の謎)”,1899. にまとめられています。

この本の中で、ヘッケルは、

個体(個人)は、生物体の死によって完全に消滅し、肉体を離れた‘魂’や‘精神’などというものは、存在しない

ということを力説しています。

それでは、細胞分裂によって増える細菌は、どうなのか?生物体が永久に存続するのだから、永遠の生命ではないか?‥という疑問に対しては、
細胞分裂自体が、個体の死(解体)である。したがって、もし細菌に霊魂があるとすれば、分裂の際に死滅する。永遠の生命などというものはありえないのだ──と強調するのです。

そして、“霊魂の不滅”“永遠の生命”を主張するキリスト教を徹底的に批判し、キリスト教、イスラム教のような世界宗教が現れる前は、原始民族はみな霊魂死滅説だった、仏教も霊魂死滅説だと主張するのです。
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