ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.12.13


つまり、「かなしみにいぢけた感情」という言い方は、作者が、宗教に対して──同時に、自己の宗教的理性に対して──遠慮した言い方なのであって、じつは、「ノクターン」の静かで満ち足りたメロディーに乗せて、この“思い”を語り続けること自体が、その“感情”を、詩人として最も大切なものとして匿い、育んでゆくことを、宣言しているに等しいと考えます。

この旅行の後半では、賢治は、《通信》をもはや求めなくなった‥‥それは事実です。しかし、求めなくなったのは、鈴木氏も書いておられるように、ある「決意」を得たからにほかならない。
その「決意」とは、「ギリヤークの犬神」のもとになった“睡夢”もさることながら、生前のトシの汎宗教的“信仰”を思い出させる“十字架”の啓示によってもたらされた新たな態度──自己の《心象》に対する・より積極的な姿勢ではないでしょうか。

こうして、単なる《通信》以上のものを得たと感じた以上、死者との《通信》という霊媒術的な、いわば前宗教的な手段は、賢治にとってもはや問題ではなくなったのだと、ギトンは考えます。



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