ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.12.12


. 春と修羅・初版本

49ああ何べん理智が教へても
50私のさびしさはなほらない
51わたくしの感じないちがつた空間に
52いままでここにあつた現象がうつる
53それはあんまりさびしいことだ
54(そのさびしいものを死といふのだ)
55たとへそのちがつたきらびやかな空間で
56とし子がしづかにわらはうと
57わたくしのかなしみにいぢけた感情は
58どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

「いままでここにあつた現象」とは、《この世界》で生きていた・人間などの生命のことです。「序詩」の最初は:

「わたくしといふ現象は」

で始まっていました。

死者が、われわれの感覚の届かない《世界》へ移ってしまう──賢治流に捉えた仏教の“死後の世界”は、そういうものでした──のは、「あんまりさびしいことだ」、そのような“しくみ”には、「わたくし」は堪えられないと言うのです。

しかし、その・堪えがたい「さびしい」“しくみ”こそが、「理智が教へ」る“死後の世界”なのです。

むしろ、作者の感覚は、亡くなったトシが、たとえば、駒ヶ岳を覆う「まつくらな雲のなかに」「かくされてゐる」ように感じるのです。

そうした、信奉する宗教にも科学にも反する“感覚”を、正面から認めるようになったということに、ギトンはむしろ、賢治の詩人としての成長を見出だします。

もっとも、まだ、賢治は、「わたくしのかなしみにいぢけた感情」などと書いています。つまり、宗教の当為の呪縛から、完全に抜け出してはいないのです☆

☆(注) そのために、たとえば、1924年中に書かれた『銀河鉄道の夜』〔初期形一〕では、「ブルカニロ博士」によって操作された“実験”の中にしか、ジョバンニの“銀河の世界”は存在しないのです。

ここで、「噴火湾」に関する先学の言及を参照してみたいと思います:

「私は次のような仮定が許されるのではないかと考えている。《亡妹とし子との通信》を求めて栄浜の海岸に佇む賢治は、或る《幻想体験》をした。その《幻想体験》とは、後『サガレンと八月』において《ギリヤークの犬神》として形象化されるものであるが、賢治はその《幻想体験》を経ることによって、《亡妹とし子との通信》の断念を決意する、というものである。」

「賢治にとって、空が『がらんと暗くみえ』続けるということは、『透明なわたくしのエネルギーを』サガレンの美しい自然から『恢復』することのできなかった、すなわち、それ程までに《亡妹とし子との通信》を追い求めた賢治の『かなしみにいぢけた感情』(「噴火湾(ノクターン)」)の心象風景と解釈することができるのである。そんな『かなしみにいぢけた感情』に支配された賢治にもたらされたものが、『三羽の鳥』ならぬ『三疋の大きな白犬』に乗った『犬神』なのであったのではないだろうか。」


★(注) 鈴木健司『宮沢賢治 幻想空間の構造』,pp.178-179,202.

トシは、「わたくしの感じないちがつた空間」に行ってしまったのではなく、“《この世界》のどこかに「かくされてゐる」にちがいない”という賢治の感覚を、鈴木氏もまた正確に読み取っています。

その感覚は、「『かなしみにいぢけた感情』に支配され」ているためであって、賢治が本来希むところではないのだ──と捉えておられるのも、たしかに、「噴火湾」の詩句の表現をそのまま受け取れば、そう言わざるを得ないのです。

しかし、作者としての賢治の意図は、かならずしもそれだけではなかったと、ギトンは考えます。そもそも、これだけの長さの「噴火湾」という作品を書いて、そこでは、もっぱらその「かなしみにいぢけた感情」が最初から最後まで繰り返されているとしたら、それはむしろ、その「感情」に作者が価値を認めていることにほかならないと思うのです。
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