ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
219ページ/250ページ


7.9.2


. 宗谷(二)

「そらの微光にそゝがれて
 いま明け渡る甲板は
 綱具や白きライフヴイ
 あやしく黄ばむ排気筒」

「綱具」は、辞書をひきますと、“つな・ぐ”と読んで、“綱でつくった船具の総称”とあります。たしかに、大きな船にはたくさんの綱が使われています:画像ファイル:綱具

たとえば甲板の写真を見ると‥、青い枠で囲んだのが“ビレイ・ピン”──マストに帆をかける綱(索具)を巻いておくところです。写真を見ると、帆船だけでなく、汽船やディーゼル船にも綱がたくさんありますね。
たとえば、びぜん丸の写真にある綱は、港で船を岸壁に繋いでおくためのものです。…そういえば、船が港に着くと、まず船員さんが綱を持って岸壁に跳び移り陸側のビレイ・ピンに綱を繋ぐのを、見たことがありませんか?

「ライフ・ヴイ」は、まえに【第3章】「小岩井農場・パート2」に出てきましたが、↑↑上の「宗谷(二)」テキスト・ファイルに出ている写真で、競パンの男が肩にかけているような海難救助用の浮き輪です。

「排気筒」は、:画像ファイル:排気筒 2枚目の画像を見ていただきたいのですが、赤丸で囲んだのが排気筒です。エンジンの排気を出す大きな煙突もそうですし、船室の通気パイプの出口も排気筒というようです。ここで賢治が、どちらを指して言っているのかは、分かりません。

「いま明け渡る甲板は…」と言っているように、まだ時刻は日の出前で、ようやく差し込んできた夜明けのわずかな光が、連絡船の道具や各部を、白や黄色に浮かび上がらせています。

「はだれに暗く緑する
 宗谷岬のたゞずみと
 北はま蒼にうち睡る
 サガレン島の東尾や」

「はだれ(斑)」は、辞書を見ると:

 「はだれ霜」:薄くまばらにおいた霜。
 「はだれ雪」:まだらに降り積もっている雪。薄く積もった雪。はらはらと降る雪。

という説明がありますが、ここでは“まだら”とほぼイコールに使っているのではないでしょうか。緑色の岬の斜面に、横から薄い光が当たっているので、暗いところと明るいところがまだらになっているようすだと思います。ともかく、船はもう北海道側の宗谷岬のすぐ近くまで来ています。

北を振り返ると、サハリンの「東尾」──つまり、アニワ岬が遠くに「ま蒼(さお)」に見えると言っています:地図:宗谷海峡 しかし、←1枚目に出した地図を見ると、西側の西能登呂岬のほうが、ずっと稚内に近いのですね。賢治は2つの岬を取り違えているのかもしれませんが、

考えられるのは、アニワ岬のほうが日の出る東に近いので、予兆の光で見えているのではないかということです。

「黒き葡萄の色なして
 雲いとひくく垂れたるに
 鉛の水のはてははや
 朱金一すぢかゞやきぬ」

夜明けの空は、低い雲が垂れこめていて、黒い葡萄の色──デラウェアのような紫黒色でしょうか──に見えます。宗谷海峡の海面も鉛色。しかし、水平線に「朱金」の線が一筋、輝き始めました。

「髪を正しくくしけづり
 セルの袴のひだ垂れて
 古き国士のおもかげに
 日の出を待てる紳士あり」

「セル」は、梳毛糸で織った毛織物で、洋服地の「サージ(serge)」と同じものですが、和服地としては“セルジ”→“セル地”→“セル”と訛って呼ばれ、大正〜昭和初期に大流行したそうです:画像ファイル:セル

セルの和服は、薄手の毛織物で涼しいので、初夏や秋口の服として着られました。私たちに馴染みのあるところでは、推理小説の“金田一耕助”が“よれよれのセルの袴”を穿いているという設定です。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ