ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.8.14


↓次に引用する『若い木霊』は、岩手県の外山(現・盛岡市玉山区)を舞台とするものですが、「がやがやしたはなし聲」のイメージに関しては、示唆的です:⇒『若い木霊』

「若い木霊はしばらくそのまわりをぐるぐる走っていましたがとうとう
『ホウ、行くぞ。』と叫んでそのほのおの中に飛び込こみました。

 そして思わず眼をこすりました。そこは全くさっき蟇(ひきがえる)がつぶやいたような景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いていました。その向うは暗い木立で怒鳴りや叫びががやがや聞えて参ります。〔…〕

『鴾、鴾、おらもう帰るよ。』
『そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損なっちゃった。』と鴾が黒い森のさまざまのどなりの中から云いました。

 若い木霊は帰ろうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙のような眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃げて逃げて逃げました。」

↑この「暗い木立」「黒い森」は、春の野山に現出した《異界》の入口のような場所で、中からは、恐ろしい「怒鳴りや叫び」が聞こえてきます☆

☆(注) この「暗い木立」が、何を象徴ないし比喩しているかについては、さまざまな説がありますが、ギトンは、もし比喩と考えるのなら、「暗い木立」の中は《人間の世界》だと思います。「スペイドの十」は、もちろん、王子様(スペードのジャック)の候補です。

. 春と修羅・初版本

40   うしろの遠い山の下からは
41   好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
42   すきとほつた大きなせきばらひがする
43   これはサガレンの古くからの誰かだ)

↑「サガレンの古くからの誰か」の意味は、もう明らかです。
先住民の神かもしれないし、“ゆれるチモシーの穂”の広漠たる彼方に感じられた《異界》の精霊、あるいは、「すがる」が飛んで行った「未知」の世界の存在かもしれません。

その遥かな存在の「大きなせきばらひ」が、「うしろの遠い山の下から」こだまのように聴こえてきます。

「好摩」は、東北本線と花輪線の分岐点で、岩手山東麓、北上川沿いの平野にあります:画像ファイル:「好摩」
ここは《一本木野》にも近く、広々とした大空が仰がれる場所です。
「好摩の冬の青ぞら」は、岩手山麓の広くて澄みきった空なのです。

本州では、真夏の空は、澄みきってはいません。昼過ぎれば、夏の湿気が雲や薄い靄になって、遠くの景色をぼんやりとさせてしまいます。

しかし、サハリンでは、まるで冬空のように澄んだ空が、晩夏でも見られるのでしょう。

澄んだ空気は、遠くの物音をよく伝えます。さえぎるもののない広く深い空の広がりは、天から大きな音が響いてくるような予感を誘います。

そのような“透き通った彼方からの咳払い”が、サハリンでは、短い夏の終りに聴こえてくるのです。

ところで、【第1章】「かはばた」では、花巻の川っぷちでも、そのような“人のものではない咳払い”が聴こえていました。この場合は、もっと小さな「せきばらひ」でしょうか:

. 春と修羅・初版本

「かはばたで鳥もゐないし
 (われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)
 風の中からせきばらひ」
.

【71】宗谷(二) ヘ
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