ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.7.8


. 春と修羅・初版本

01やなぎらんやあかつめくさの群落
02松脂岩薄片のけむりがただよひ
03鈴谷山脈は光霧か雲かわからない
04  (灼かれた馴鹿の黒い頭骨は
05   線路のよこの赤砂利に
06   ごく敬虔に置かれてゐる)
07 そつと見てごらんなさい
08 やなぎが青くしげつてふるえてゐます
09 きつとポラリスやなぎですよ
10おお満艦飾のこのえぞにふの花
11月光いろのかんざしは
12すなほなコロボツクルのです
13  (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
14Van[']t Hoff の雲の白髪の崇高さ

まず、14行目まで。
1行目からの字下げなしの行には、遠景、ないし空や高い場所の風景が描かれています。原野のかなたにけぶる赤いヤナギランやアカツメクサ、空にただよう靄、その向うに隠れる鈴谷山脈。
それに対して、4行目からは、3字下げ・カッコ書きで、まず近景のトナカイの頭蓋骨(線路の横)が描かれ、中景のポラリス柳(に似た植物)、遠景のエゾニュウ‥、と視線が遠くに移って行くにしたがって、行の頭は上に上がって行きます。
ファント・ホッフの雲も、遠景の空です。
遠景になるほど、“崇高”に白く輝いているようすもみごとです。
13行目のサンスクリット語題目は、この“白い輝き”に達したところで、おのずと作者の口から迸り出た“祈り”、この気高い光景への讃美と言うべきでしょう。

ただ、注目したいのは、この“上向”の過程が、線路際に棄てられた・焼かれたトナカイの頭蓋骨に寄せる作者の気持ちから出発していることです。そして、遠景のエゾニュウも、「すなほなコロボツクル」を思わせるイノセンス、ないし迫害される者の“崇高さ”と言ってよいのだと思います。

最初に示された遠景の「松脂岩薄片のけむり」、鈴谷山脈の「光霧」は、かつて、この原野を焼いた“業火”のような山火事の煙を思わせます。

14Van[']t Hoff の雲の白髪の崇高さ
15崖にならぶものは聖白樺(セントペチユラアルバ)
    (O, Your reverence! Sacred St. Betula Alba!)
[訳](おお、尊師!神聖なる聖ベチュラ・アルバよ!)
16青びかり野はらをよぎる細流
17それはツンドラを截り
18   (光るのは電しんばしらの碍子)
19夕陽にすかし出されると
20その豪烽フ草の葉に
21ごく精巧ないちいちの葉脈
22   (樺の微動のうつくしさ)

すでに列車は動き出しています。

「聖白樺」ですが、「崖」の上にあって、遠景をなしています。作者は、「おお、尊師!」と呼びかけています。それは、樺太の“自然の精霊”──人間が来る以前からいる“崇高”な存在に対する熱い思いではないでしょうか。

ファント・ホッフとの関係が、いまいち分かりませんが‥、ファント・ホッフの法則が想起されているとすれば、無機自然界の法則と繋がった樹木や生き物たちの“崇高”な生を示しているのかもしれません。

車窓の風景は移って行き、ツンドラのような草原を細い流れが截っています。
樺の緑の葉が、夕陽に光って揺れます☆

☆(注) この樺の葉の描写は、童話『土神と狐』に描かれた女性の「樺の木」を思い出させます:「樺の木は‥‥青い葉をきらきらと動かして土神の来る方を向きました。」「樺の木は‥‥もうどうしたらいゝかわからなくなりたゞちらちらとその葉を風にゆすってゐました。」(二章)、「樺の木は又はっと葉の色をかへ見えない位こまかくふるひました。」(三章)など。なお、『土神と狐』が書かれたのは、『春と修羅(第1集)』出版後の時期と思われます。

これらの風景も、作者に自然の“崇高さ”を強く印象づけます。

4字下げのカッコ書きは、作者の“つぶやき”でしょう。
「(おお、尊師!‥」「(光るのは電しんばしらの碍子)」「(樺の微動のうつくしさ)」──みな、同じ高さから始まっています。
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