ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.7.6


. 春と修羅・初版本

19夕陽にすかし出されると
20その豪烽フ草の葉に
21ごく精巧ないちいちの葉脈
22   (樺の微動のうつくしさ)

「豪焉vは、金緑石の色:画像ファイル:金緑石

緑色の白樺の葉が、金色の夕日に映し出されて光っています。風で微妙に揺れると、“猫目石”のように葉脈が光ります。

23黒い木柵も設けられて
24やなぎらんの光の点綴

「黒い木柵」は、線路の柵でしょうか:画像ファイル:古枕木の柵

24行目。「点綴」は、辞書を引きますと、「ひとつひとつをつづり合わせること。また、物がほどよく散らばっていること」とあります。

「光の点綴」は、ヤナギランの花が、あちこちに赤い灯火がともったように、散らばったり、つづり合って続いたりしているのだと思います。もう、陽は傾いて、野原は、だんだん暗くなろうとしているのです。

25 (こゝいらの樺の木は
26  焼けた野原から生えたので
27  みんな大乘風の考をもつてゐる)
28にせものの大乘居士どもをみんな灼け

列車の走って行く車窓には、火入れか山火事で焼かれた原野が続いています。

細い樺の木がまばらに生えているのは、カンバ類は日なたを好むので、山火事跡には真っ先に生えるパイオニア樹木だからです。

しかし、賢治は、「こゝいらの樺の木は/‥/みんな大乘風の考をもつてゐる」と言っています。
「大乘風の考(かんがへ)」とは、どんな考えでしょうか?

ギトンの解釈を言いますと、ここで賢治が言っているのは、大乗仏教全般ではなくて、『法華経』の「如来壽量品」にあるような考えだと思います:1.16.8 如来壽量品

“この世は、心がけ次第で地獄にもなれば、天界にも浄土にもなる。悪い心の人にとっては、苦しみに満ちた地獄そのものだし、心の良い人の眼には、美しい宝石で飾られた天の楼閣や花園が見えるのだ。”ということです。この思想から、中国・日本の大乗仏教では、たとえば中国の天台智は“十界互具の説”を唱え、「地獄に仏界あり、仏界に地獄あり」「十界☆のそれぞれに十界がそなわっている」★としました。日本の“天台本覚思想”では、「凡夫のふるまいに真の仏のすがたが見られ」「穢土のただなかに真の浄土のありかが知られ」「只今のひとときに真の永遠のいぶきが感ぜられる」◇とされます。

☆(注) 地獄、餓鬼、阿修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏の10世界。

★(注) 田村芳朗・ほか『絶対の真理〈天台〉』(仏教の思想5),1997,角川文庫,p.124.

◇(注) op.cit.,p.54.

つまり、焼け跡から生え出た樹木のように、“地獄の業火”に焼かれてこそ、真の仏の世界を見ることができる。あるいは、業火に焼け爛れた世界こそ、浄土そのものとなりうるのだ──という考えだと思います。
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