ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.7.2


. 春と修羅・初版本

07 そつと見てごらんなさい
08 やなぎが青くしげつてふるえてゐます
09 きつとポラリスやなぎですよ

「ポラリスやなぎ」は、Salix polaris (英語では Polar willow)のことと思われます。
北極圏のツンドラ植物で、ノルウェイ北部、カムチャツカ、アラスカ、カナダのブリティッシュ・コロンビア州などに生育します:画像ファイル:Salix polaris サハリンにはありません。

↑画像ファイルを見て欲しいのですが、われわれがイメージする‘やなぎ’とは似ても似つかない小さな‘草’(高さ2-9cm)です。木質の枝は地下に隠れています。それでもやはり、しだれ柳やネコヤナギと同じヤナギ属なのです。

賢治が見た植物は、ポラリス柳ではなかったと思われますが、賢治は、Salix polaris または Polar willow という名前を知っていたことになりますから、こういう植物だということは、図鑑などで見ていたと思います。

「そつと見てごらんなさい」という言い方は、非常に小さなものを注視しているように思わせます。
おそらく、似た姿の矮性の植物‥イワカガミのような‥ではないでしょうか。「やなぎが‥」という言い方に疑問はありますが、そう解しておきます。

9行目までは、列車は停止していて、10-16行目以後は、動いている列車からのけしきと思われます。栄浜駅かどうかは分かりませんが、その近くの駅でしょう。

【68】でもちょっと触れましたが、栄浜周辺は、木材の乱伐と火入れ、それらに伴って起きた山火事や地崩れによって、森林は禿げて原野化していました。ヤナギランなどの綺麗な草花が多いのも、原野化して日が差すようになったためです。本州の高山の“お花畑”を考えてもらえば分かると思います。

↓こちらの新聞記事(東京日日新聞 1913年)の「内淵川」は、栄浜の南を蛇行して、内淵(ナイプチ)でオホーツク海に注ぐ河川:⇒「樺太島」 地図:白鳥湖 地図:栄浜付近

「鈴谷平原の奥の方だが富岡を経て北に流れた大谷川の水系に這入ると内淵川の流域に属した北方に開けた平原なので両流域の分水地域の高原に一眸の蕨の野がある、夫れが尽れば一面の蕗の原が展開する、春の花と秋の草とが交ったような彩の野趣が誠に綺麗だ。
 〔…〕
 内淵川の流域には露国時代から盛んに焼かれた森林の跡が無残な荒野の茫漠たる天地を形成して居る、〔…〕次第に展開する平原が尽きれば新しい家屋が街並になった栄浜なので松の並木が風のために斜に靡いて居るのが冬の烈風を説明して居る。

栄浜の戸数約百四十、人口六百、純農業者は僅に四戸で商家三十軒ばかりの外は漁業者である、〔…〕

栄浜の街は未だ殺風景だが「御料理」の看板だけは割合に多い、散娼制度の美人不美人も居るそうな〔…〕附近にある土人部落も内淵川の土人の鱒漁も見たくはないが〔…〕

鯡は海岸に放卵に来るし、鱒は河川に産卵のため登って来る、特別免許の土人は海でも漁るがアイヌは主として河川で漁るのもある、〔…〕河口から上流山間の渓流迄何万何千の鱒が詰って居るのだ、其第一は多来加の幌内川、次は内淵と此留多加並に鈴谷の諸川であるがこれも森林がなくなって水流が変化して来たらそうは行かぬかも知れぬ、或川では木材を流して居るために魚族が居らぬようになった所もある、〔…〕

此所内淵河盂から鈴谷水原へかけての原野は樺太一の平原で将来の発逹期して待つべく農牧の業は此地が本家本元である、既う地割も大概済んで居るので移住者は遠慮なく押し掛けて差支ない、寒い寒いと言った所が知れたもの、一体交通の不便な樺太だが此方面は海に陸に頗る便利である、〔…〕此辺は道路もある橋梁もある、況して此鉄道が広野を走って大なる開発を与えて居る、森がある、林がある、清流が迂ねて彼方の密林の中に這入る、其間に畑地が開墾されて麦や馬齢薯が思う存分に発育して居る。〔…〕 」

記事には、「露国時代から盛んに焼かれた森林の跡」と書いてありますが、殖民の数から言っても、開発の規模と勢いから言っても、日本領になってからの森林破壊が主たる原因であることは、否定できないでしょう。栄浜に製紙会社の出張所ができて、原木の積み出しを行なうようになってからは、さらに拍車がかかったはずです。

宮沢賢治は、荒廃した野山のようすを、はっきりとは書いていませんが、見て心を傷めなかったはずはないと思います。
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