ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.38


. 春と修羅・初版本

112(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
113五匹のちいさないそし[ぎ]が
114海の巻いてくるときは
115よちよちとはせて遁[に]げ
116(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)
117浪がたひらにひくときは
118砂の鏡のうへを
119よちよちとはせてでる

「いそしぎ」は、全長20cm程度の小さな水鳥ですが、中部地方以北にいるのは夏季だけで、冬は西日本などへ渡ります。主に河川湖沼に生息しますが、繁殖期が終わると干潟や海岸にも出てきます:画像ファイル:イソシギ 目の白いふちと黒い筋、そして長い嘴が、可愛いですね。

作者は、このような可愛い小さなものの動きを、興味深く追って描いていますが、それが、「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」の出現──しかも2回!──と重なっていることに注目したいと思います。このあとの2作品でも、同様の箇所に出会うことになります。

ところで、打ち寄せる波を「海の巻いてくるとき」と表現し、退いて行く波を「たひら[平ら]にひく」と表現したのは、さすがは宮沢賢治━━と言わなければなりません。

内陸に住んでいて、めったに海を見ない人は、それだけ新鮮な感性を持っているのかもしれません。ふつうは、“打ち寄せる”という言葉が先にあって、言葉でイメージを作り、それをじっさいの現象に当てはめてみて、なるほど、たしかに打ち寄せているわい、とナットクするのが、われわれ凡人のやり方です。
しかし、賢治の“心象スケッチ”は、それとは逆なのです。はじめに、“言葉以前”の現象があります。そのつぎに、塩水が砂粒を巻きながら進んでくるという《現象の観察》があり、しかるのちはじめて、この《現象》を指示する言葉が現れる。したがって、それは、“打ち寄せる”ではなく、“巻いてくる”でなければならないわけです。

ちなみに、↑上の引用部分(「オホーツク挽歌」の末尾)に関しては、なにか、大乗仏教の世界だとか法華経の世界だとかいう評価が多いのですが、ギトンは納得できませんw

世の批評の多くは(全部ではありません)、「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」という御題目に囚われて読むから、そういう評価になるのかもしれません。しかし、お題目が書いてあるという以外に、このパッセージがどうして“大乗仏教の世界”なのか、分かるように説明してくれた論文を、あまり見たことがありません。。。

ギトンは、この部分を読んで、小さな生命に対する悲しいほどの愛惜を感じますが、それが仏教なのかキリスト教なのか、宗教以外なのか☆は、どうでもよいことではないかと思います。

☆(注) たとえば、ヘッケル『自然の造形』の生物画を見て感じる“生き物の哀しみ”にも、やや通じるところがあります:⇒画像ファイル:ヘッケル

さて、「オホーツク挽歌」の最後に、宿題にしてあった“賢治が行ったのは栄浜の西海岸か、東海岸か”に、触れておきたいと思います:サハリン地図(白鳥湖)

↑地図を見ていただくと分かるように、栄浜(スタロドゥプスコェ)の西海岸、“白鳥湖”のほとりに“内淵”と書いてあります。ここは、“ナイプチ”という樺太アイヌの部落で、ロシア領時代の1902年に、ピウスツキが、サハリンで始めて、アイヌのための識字学校を開いた場所なのです:ピウスツキの足跡を尋ねて(PDF)

つまり、樺太アイヌの中心といってよい大きな集落であったと思われます。

「オホーツク挽歌」の検討の中で、どうも宮沢賢治は、北方先住民の民話かシャマニズム信仰を詳しく知っていたフシがある‥しかも、当時としては文献で知るのはまだ難しかったことから、賢治は、現地などで口伝てに聞いたのではないか?‥という感触がありました。

そこで、『サガレンと八月』に現れる「ギリヤークの犬神」などから、ギリヤーク(ニヴフ)やオロッコ(ウルチャ)の民話・民俗との比較が行なわれているわけですが、ギトンは、もうひとつの方向として、樺太アイヌに鍵が隠されていはいないか──という感じがしています:⇒樺太アイヌ
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