ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.29


「このように、日本女子大学校においても成瀬校長の宗教教育は、『宗教は生命であって決して解決ではない』という考えのもとに、すべての宗教の『その本に存するところの生命』すなわち『宇宙の精神』『宇宙の意志』に学生たちを触れさせることを重要視したのであり、そのための修養として瞑想を重んじている。」
(op.cit.,pp.36-37)

 成瀬校長は、メーテルリンクの『青い鳥』『万有の神秘』『死後は如何』などから引きながら、週2回の「実践倫理」講話(全学年必修)で、キリスト教的信仰を分かりやすく学生たちに話していました。

 トシも、成瀬の講話に共鳴していたらしく:

「此の四五年来私にとって一番根本的な私の生活のバネとなったものは、、『信仰を求める』と云ふ事であった。信仰によって私は自己を統一し安立を得やうと企てた。〔…〕自分と宇宙との正しい関係に目醒めて人として最もあるべき理想の状態にあったと思はれる聖者高僧達の境涯に対する憧憬に強く心を燃やした。〔…〕今思へばあれ
〔トシが「実践倫理」の宿題として書いたレポート──ギトン注〕は全く信仰に対する憧憬を書いたに過ぎなかった様に思はれる。」
(宮澤トシ『自省録』,1920年初め執筆と推定)

「聖者高僧達の境涯に対する憧憬」という言葉が目を惹きます。トシは、成瀬に従って、仏教・キリスト教の区別なく、その根本にある“信仰”を求めようとしていたわけです。

「自分と宇宙との正しい関係に目醒めて」という表現は、成瀬のキリスト教思想が、トシを通じて、賢治にまで及んでいたと思わせないでしょうか?

しかし、もう少しはっきり、キリスト教の表現で書いている部分を引いてみましょう。
↓こちらでは、トシは自分を「彼女」と呼んで、高等女学校時代にあった失恋(相手は音楽の教諭)の一部始終を告白し、その影響から立ち直ろうとしています:

「彼女は世界の前に神の前に本当の謙遜を教へられたのではないか、それは人間としての修行に一歩を進めさせる恩寵ではなかったか、否彼女にはそれが恩寵であらうと或は彼女を不幸に落した運命の悪戯であらうとそれについて彼此選択したり憶測したり不平を云ったりする権利がなく必要もないのであった。何を与へるかは絶対者の領分である。」
(op.cit.)

「神」「恩寵」「絶対者」という語が見えるだけではありません。ここに表明された思想:「何を与へるかは絶対者の領分である。」は、プロテスタント信仰に基くものとは見られないでしょうか?☆

☆(注) ギトンは、キリスト教については(も、と言うべきか‥)通り一遍の知識しかないので、もし間違っていれば、ご叱正いただけると幸いです。
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