ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.28


. 春と修羅・初版本

76(十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))

「蒼じろく光る盤面(ダイアル)」は、時計の文字盤です。
現在、日本語では、時計の文字盤をダイヤルとは言いませんが、英和辞典を引きますと、dial はもともと“まわりに目盛りの付いた円盤”を広く指して言う語でして、ダイヤル式電話機だけでなく、テレビのチャンネル、ラジオの選局ツマミ、磁石の盤面、時計の文字盤‥、みな「ダイヤル」です。

この時計は、おそらく賢治がしていた腕時計☆でしょう。

☆(注) 当時の腕時計は、もちろん電子時計ではなく、竜頭(ねじ)を巻いて、ゼンマイの動力で動く時計です。賢治は「腕巻時計」と言っています。

午前「十一時十五分」という時刻から分かるのは、やはり《仮眠》の前後で、相当の時間経過が省略されていることです。この詩の最初の行では:

01海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた

と書いていました。

77鳥は雲のこつちを上下する
78ここから今朝舟が滑つて行つたのだ
79砂に刻まれたその船底の痕と
80巨きな横の台木のくぼみ
81それはひとつの曲つた十字架だ

「鳥」が現れました。

賢治の詩で、一般的に言うと、鳥は、《異界》との間を往き来するものと考えられます。

ただ、ここでは、トシに関係する表象かもしれません。あるいはむしろ、──すぐ後に「十字架」が出てきますが──キリスト教に関係すると言ったほうがいいかもしれません。

「上下する」という動きから、カモメか何か大型の水鳥と思われます。

今朝、浜から海へ出て行った舟底の新しい轍(わだち)が、砂の上にくっきりとついています。
舟もまた、死者の魂を他界へ運ぶ乗り物です★

★(注) 鳥を、他界と往き来するものとするのは、東南アジアから日本に及んだ古い宗教観念です。舟を、死者を運ぶ乗り物とする観念も、やはり東南アジアから日本に広がっていますが、サハリンのニヴフ(ギリヤーク)にもあるようです。東北地方には、“船形山”と呼ばれる山が各所にあり、頂上が平らで、船を伏せた形をしています。有名なのは、仙台市と山形県東根市の間にある御所山(標高1500m)。花巻の近くでは、“五間森”が、そうです(ただし、地元で“船形山”と呼ぶかどうかは未調査)。いずれも、信仰に結びついた山です。

そして、舟の轍と、舟を載せていた台木の跡とで、いびつな十字架の形が残っているのを、作者は発見します。

82幾本かの小さな木片で
83HELL と書きそれを LOVE となほし
84ひとつの十字架をたてることは
85よくたれでもがやる技術なので
86とし子がそれをならべたとき
87わたくしはつめたくわらつた

トシは生前、キリスト教信仰からも、大きな影響を受けていたと思います。トシが東京で学んだ日本女子大学校(⇒画像ファイル:日本女子大と寮)の創立者・校長成瀬仁蔵(1919年まで在籍。トシ在籍は 1915-1919)は、もと、プロテスタントの牧師でしたが、日本女子大学校をミッション・スクールとして設立したのではなく、「『凡ての人心に通有せる宗教心』を養うという意味での学生への宗教教育を非常に重んじていた」◇。

◇(注) 山根知子『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』,2003,朝文社,p.34.

成瀬自身の言葉によると:

「クリスト教にも、仏教にも、儒教にも、総ての教訓に通じて、其の本に存するところの生命を以て貫くことを主義として、教育を行ふというので、此は単に議論ではない。〔…〕

 広く言へば宇宙の精神である。若し吾々は根本の意志、原動力といふものがあるならば、それは宇宙の意志であり、精神でなければならぬ。」
(op.cit.,p.36)
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