ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.1.16
というのは、「青森挽歌 三」と呼ばれる異稿があります。《初版本》収録の「青森挽歌」と共通する詩行が含まれていて、「青森挽歌」の下書きの一部か、そこからさらに変遷して行った別稿と推定されるものです。
「青森挽歌 三」の中に、次のような部分があります:
. 「青森挽歌 三」
「私が夜の車室に立ちあがれば
みんなは大ていねむってゐる。
その右側の中ごろの席
青ざめたあけ方の孔雀のはね
やはらかな草いろの夢をくわらすのは
とし子、おまへのやうに見える。」
「青森挽歌」の40-50行付近よりは夜明けに近づいているようですが、時間帯は、推敲・書き換えでずらすこともできます。それよりも、「孔雀のはね」に注目すべきでしょう。「青森挽歌」では:
33そこらは青い孔雀のはねでいつぱい
34眞鍮の睡さうな脂肪酸にみち
35車室の五つの電燈は
36いよいよつめたく液化され
となっていました。
「青森挽歌 三」で、「右側の中ごろの席」にいる「とし子、おまへのやうに見える」と言われている乗客(子供)☆が、「青森挽歌」のほうの「ドイツの尋常一年生」の原型だと思うのです。
☆(注) この乗客がなぜ子供だと分かるのかは、この節(【63】青森挽歌)の末尾で「青森挽歌 三」を扱うときに説明します。
そこで、(「青森挽歌」の前半部分の下書きは現存しないので)想像になりますが、賢治は、夜中に(トイレに行くためか、デッキで風にあたるためか)通路を移動した時に、この子供の乗客を見たのだと思います。大人の乗客はみな眠ってしまっているのに、この子供だけが、「ぱつちり眼をあ」いていて、やはり寝ないで出歩いている変な大人──賢治を、訝しそうに見つめたのではないでしょうか?
(しばらく後で、夜明けの時刻に、その子供がいるのを思い出して、「その右側の中ごろの席」だと、「青森挽歌 三」で書いているのかもしれません。だから、孔雀の羽も、「青ざめたあけ方の孔雀のはね」なのかもしれません。)
そこで、「孔雀のはね」ですが、すでに検討したように、これは、嘉内・賢治の“銀河の誓い”に遡る“青空の大きな眼”“おそろしい青い眼”につながるモチーフだと、ギトンは考えます。賢治たちの行動を監視し、“大人のウソ”があれば摘発して、じっと見つめて非難する“天の眼”です。
これで、50行目前後の部分だけは、とりあえず明らかになったかと思います。
. 春と修羅・初版本
46(おヽ(オー)おまへ(ヅウ) せわしい(アイリーガー)みちづれよ(ゲゼルレ)
47 どうかここから(アイレドツホニヒト)急いで(フオン)去らないでくれ(デヤ ステルレ)
48《尋常一年生 ドイツの尋常一年生》
49 いきなりそんな惡い叫びを
50 投げつけるのはいつたいたれだ
51 けれども尋常一年生だ
52 夜中を過ぎたいまごろに
53 こんなにぱつちり眼をあくのは
54 ドイツの尋常一年生だ)
「青森挽歌」では、モチーフになった“トシに似た子供”自体は登場しません。推敲の過程で、「ドイツの尋常一年生」に発展して消えたのだと思います。
どこからか、客車の外からなのか、中からなのか、「オー ヅウ ‥」というドイツ語の文句が聞こえます。作者も意味を知っている教科書の一節です。「せわしい みちづれよ/どうかここから急いで去らないでくれ」という訳が頭に浮かびます。(ただし、作者の主観に彩られて、離れてゆく恋人を引き止めるようなニュアンスになっています。)
あの文句は、いったい誰が口ずさんでいるのだろう?‥と思う間もなく、「ドイツの尋常一年生!」と、馬鹿にするような「悪い叫び」が、またどこかから浴びせられてきます。
しかし、作者は、それを聞いて、かえって、「オー ヅウ ‥」のつぶやきが、どこから来たのか、解ったような気がしました。
たしかに、尋常一年生だ!イノセントな眼を大きく「ぱっちり」と開いている小学生なのだ。青い眼の子供にちがいない!
“けがれなき者”の声がわたくしを呼んでいる。「どうか ここから‥去らないでくれ」と言っている。
「ここ」とは、どこか?‥
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