ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.19


. 春と修羅・初版本

55それにだいいちいまわたくしの心象は
56つかれのためにすつかり青ざめて
57眩ゆい緑金にさへなつてゐるのだ
58日射しや幾重の暗いそらからは
59あやしい鑵鼓の蕩音さへする

‥したがって、作者の周囲の心象風景は、青く沈んでいても暗い宝石のように輝いているのです。いまは暗緑色ですが、また赤くなったり青くなったりというように、とりとめもなく変化しているのです。

これは、身を焦がす恋ないし性愛の感情に通じる表象でしょう。

しかも、この「すつかり青ざめ」た心象は、作者の罪の意識を含んでいると思います。そのことは、このあとの詩行でも、じょじょに明らかになって行きます。

「鑵鼓の蕩音」については、「鑵」は中空の容器、「鼓」はタイコ、「蕩」は“ゆらぐ;とろける;ひろがる”などの意味。「鑵鼓の蕩音」の実体は、おそらく遠雷だと思います。

しかし、この音が作品の中で持つイメージについては、岡澤敏男氏の説明が当を得ていると思います:〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉#206

岡澤氏によれば、オーケストラのティンパニーのトレモロや、歌舞伎で幽霊が出て来る時の「どろどろどろ」と低音で連打する太鼓の音を、「あやしい鑵鼓の蕩音」と表現しているのです。
雲が幾重にも重なった暗い空からも、強い日射しからも、「あやしい」トレモロの音が聞こえてくる状況は、えたいの知れない恐怖さえ感じさせます。

このような入眠時のまわりの風景は、精神の回復を図って眠ることによって、かえって、いよいよ、悪夢のような世界に引き込まれてゆくことを予感させるものです。

ここで、鈴木健司氏の解説を引用しますと:

「この詩句
〔55-59行目──ギトン注〕は『オホーツク挽歌』パート2の終わりの箇所である。賢治の意識状態は極めて陰鬱である。『つかれのため』に『心象』が『青ざめて/眩い緑金』になっていることにより、青いはずの空が『暗いそら』と変わり果て、『あやしい鑵鼓の蕩音さへする』のである。〔…〕

 この変化に極めて類似したパターンを、我々は『サガレンと八月』において見て取ることができる。〔…〕

 樺太の『爽やか』で『浄らか』な風景も、賢治にとって時として不吉なものに変わることがあり、〔…〕賢治にとって、栄浜の海岸は《浄土》とも《地獄》とも変わり得るものとして存在していたに違いない。」
(op.cit.,pp.190-191)

鈴木氏が言及している『サガレンと八月』は、題名と内容から、サハリンの海岸が舞台になっていると見られる童話断片(途中まで書いて放棄)です☆

☆(注) 『サガレンと八月』の執筆時期については、洋半紙に書かれているので、用紙から時期を推定することができません。しかし、中断された『サガレンと八月』の構想を引き継いだと思われる童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった』が、1925年ころ雑誌『赤い鳥』に寄稿されているので(ただし不採用)、それ以前と推定されます。
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