ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.18


「スコットランドの釣鐘草」は、戦争に行った恋人の帰りを待つ堅気な女性の心を歌っています。
こういうのが国歌になってる国って、すごいですね。。。

画像ファイルには、フォーク調とバグパイプの音源を出しておきましたが、↓ここでは、清水真弓さんのトロンボーンで聴いてみたいと思います:Blue Bells of Scotland - TMK St.Georgen/Klaus - Jubiläumskonzert 2010

さて、宮沢賢治が、前nのような歌詞を想起させようとして「釣鐘草(ブリーベル)」という言葉を出しているのは、まちがえないと思います。ここでもやはり、どこへともなく去って行った「若者」に寄せる想いが表れているかもしれません☆

もっとも、賢治がサハリンでじっさいに‘釣鐘草’(ホタルブクロ属)を見たとすれば、おそらくチシマギキョウではないかと思います:画像ファイル:釣鐘草

☆(注) しかし、どうでしょうか?‥前ページの歌詞を見ると、ギトンはむしろ、嘉内に寄せる賢治の思いが現れているように思うのです。「旗をなびかせ行ってしまった/崇高なる遺業がなされる場所へ」は、原詞ではもちろん、戦争に行ったという意味ですが、学業を断念して兵役に服し、いま、農村改革の理想を抱いて故郷の村へ帰って行った保阪を思わせないでしょうか?「旗をなびかせ」は、『アザリア』5号に載った保阪の短歌:「牧場のとりでは雪に埋れて若き男は赤き巾振る」を思わせます。「とりで」と「赤き巾」は、左翼運動への保阪の関心を示すでしょう。歌詞の:「そこは可愛らしい釣鐘草が咲き誇る国」は、嘉内の故郷の農村(賢治は保坂宛書簡で「甲斐の国」と言っています)であり、「一人心に想う/彼をどれ程愛していたか」は、保阪と離れてしまった現在の気持ではないでしょうか?‥ただ、「不思議な釣鐘草」の一句だけでここまで読み込むのは、(モデル小説ならともかく)客観性に欠けるので、注としておきます。

. 春と修羅・初版本

046なぜならさつきあの熟した黒い實のついた
047まつ青なこけももの上等の敷物(カーペット)と
048おほきな赤いはまばらの花と
049不思議な釣鐘草(ブリーベル)とのなかで
050サガレンの朝の妖精にやつた
051透明なわたくしのエネルギーを
052いまこれらの濤のおとや
053しめつたにほひのいい風や
054雲のひかりから恢復しなけばならないから

ここでもういちど、↑このクダリを見ておきますと、コケモモの“敷物”と、ハマナス、釣鐘草などの草花は、作者の仮眠の寝床となる風景ですが、「透明なわたくしのエネルギーを〔…〕恢復」するのは、これらの匂い立つ植物群ではなく、「濤のおとや/しめつたにほひのいい風や/雲のひかりから」だと言っているのです。

つまり、賢治の言う“エネルギーの回復”とは、単に疲労を回復して元気になることではなく、やはり、欲望に満ちた世界の余韻のような状態から脱して、風や海や空の爽快な心持になることを意味するのだと思います。

それは、↓つづく詩行にも現れています:

055それにだいいちいまわたくしの心象は
056つかれのためにすつかり青ざめて
057眩ゆい緑金にさへなつてゐるのだ
058日射しや幾重の暗いそらからは
059あやしい鑵鼓の蕩音さへする

「緑金」は、『小岩井農場』に出てきたときに説明しましたが、金緑石を想起させているのだと思います。

金緑石は、ベリリウムを含む緑色〜褐色の鉱物ですが、研磨するとさまざまな不思議な色合いを示します。真ん中に光の筋が見えるものをキャッツアイ(猫目石)、光源により色の変わるものをアレキサンドライトといいます。

アレキサンドライトは、太陽光や蛍光灯の明かりの下では暗緑〜青色、白熱灯や蝋燭の下では赤紫〜赤色に変ります:画像ファイル:金緑石
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