ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.15


「唅の儀礼」をネットで調べて見ますと、古代中国の貴族の葬送儀礼の一つで、『荀子』に:

「喪禮は,生者を以て死者を飾るなり,大いに其の生を象り以て其の死を送るなり。故に死に事ふること生の如く,亡に事ふること存の如し,終始一なり。始卒,沐浴、鬠體、飯唅,生執を象るなり。〔…〕耳を充たして瑱を設け,飯ましむるに生稻を以てし,唅ましむるに槁骨を以てす,生術に反す。〔…〕木器は斲を成さず,陶器は物を成さず,薄器は内(納)を成さず,笙竽は具すれど不和,琴瑟張れど不均,〔…〕徙道を象る,又不用を明かすなり,是れ皆哀を重とする所以なり。」

〔喪禮者,以生者飾死者也,大象其生以送其死也。故事死如生,事亡如存,終始一也。始卒,沐浴、鬠體、飯唅,象生執也。〔…〕充耳而設瑱,飯以生稻,唅以槁骨,反生術矣。〔…〕木器不成斲,陶器不成物,薄器不成内,笙竽具而不和,琴瑟張而不均,〔…〕象徙道,又明不用也,是皆所以重哀也。〕
(『荀子』,禮論:19,16)

とあります。「飯唅」については、↓次のような注がありました:⇒翰林院

「古代貴族の葬礼で、宝石、宝玉、貝殻、米など、死人の口の中に入れて塞いだ物を、総称して『唅』と言う。死者の口に入れる物は、その貴賎等級によって定まっていた。『飯唅』とは、死者の口の中に『唅』を入れることである。」

〔唅:古代給貴族辦喪事時,塞在死人口中的珠、玉、貝、米等物統稱「唅」,死者所含之物視其貴賤等級而定。飯唅:把唅放在死者口中。〕

【大意】 つまり、荀子によると、葬礼とは、死んだ者を、生きている者のように飾ることで、それはあくまでも、その人の「生」をかたどって、死を送るためである。沐浴、鬠體(死者の頭髪を整え爪を切ったりすること)、飯唅,いずれも、生きているかのように、かたどるのである。死んだ者が生き続けるとするのではなく、死者に「生」の形を与えるにすぎない。

 耳の穴には「瑱」を詰めて塞ぎ、口には、なまの米や、貝殻を詰める。これも、生きているときの用法には反するのである。

 墓に入れる副葬品の木器には、彫刻を施さず、陶器、薄器は、使えないような物である。楽器は、笛も琴も、調律されていない。これらもみな、死者の旅路を飾るための物であって、じっさいに使われたり鳴らされたりする物ではない。

 このように、形だけで生活の役に立たないことをしたり、使えないものを添えたりするのは、死者に対する(もう生きてはいないのだという)哀しみを重んずるからである。

 ──ということになります★

★(注) これを見ても、荀子の言うことは、いかにも唯物論者の冷めた観察という感じで、おもしろいですw



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