ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.10


. 春と修羅・初版本

24 ああこれらのするどい花のにほひは
25 もうどうしても 妖精のしわざだ
26 無數の藍いろの蝶をもたらし
27 またちいさな黄金の槍の穂
28 軟玉の花瓶や青い簾

「軟玉」は、緑閃石類〔Ca2Mg5Si8O22(OH)2〜Ca2Fe5Si8O22(OH)2〕の固溶体で、マグネシウムが多いと白色、鉄が多いと緑色に近くなります。中国で古い時代に「玉(ぎょく)」と言えば、軟玉のことでした。宝石としては軟らかすぎるので、彫刻加工して器物や工芸品に造られます:画像ファイル:軟玉

ここで「軟玉の花瓶」と言っているのは、草の実の鞘か穂かもしれませんが、ともかく夢幻的です。
「青い簾」は、強い陽射しであたりの空気が青く見えるのかもしれません。

しかし、そのように合理的に解釈するよりも、作者が見ている世界をそのまま受け取ったほうがよいと思います。まるで、「するどい花のにほひ」に酔い痴れて、「妖精」に魔法をかけられた状態です。

「軟玉の花瓶」は、その曲面形、緻密な質感、なめらかな手触り、重みのある存在感が、何かの比喩になっているように感じます。
これまでに見た作品の中では、↓〔みあげた〕断片の「黄水晶の浄瓶」が近いように思われます:

. 〔みあげた〕

「おゝ天の子供らよ。私の壁の子供らよ。
 出て来い。
 おれは今日は霜の羅を織る。鋼玉の瓔珞をつらねる。黄水晶の浄瓶を刻まう。ガラスの沓をやるぞ。」

次は、『春と修羅・第2集』の「密教風の誘惑」(#155, 1924.7.5.)【下書稿(1)手入れ】ですが、作者の《心象》に、やはり「浄瓶」が現れます:

「ガンダラ風の夜なのだ
   ……みだれるみだれるアカシヤの髪
     赤眼の蠍
     そらの泉と浄瓶や皿……」

「浄瓶」は、「小岩井農場」の〔みあげた〕断片のところで説明しましたが、⇒画像ファイル:浄瓶 水を飲むための仏具で、上に突き出た管を口に咥えて飲みます。

ギトンは、個人的には男性器の比喩として読みますが、いずれにしろ人の身体に対する性感覚を表していると思います。

「密教風の誘惑」は、あとのほうでは、

「もうわたくしは手も青じろく発光し
 腕巻時計の針も狂って
     (帽子も投げろ帽子も燃える)
 この夏の夜の密教風の誘惑に
 あやふく堕ちて行かうとする」

などとなっていて、「夏の夜の密教風の誘惑」とは、性慾ないし性的快楽を表します。
鈴木健司氏によれば、この詩は、賢治の性欲がそのまま表現されている数少ないテキストなのです☆

☆(注) 鈴木健司『宮沢賢治 幻想空間の構造』,1994,蒼丘書林,pp.207-227. 鈴木氏は、作品「密教風の誘惑」に散りばめられた多数の仏教用語の解明を含む緻密な分析の上で、この詩の【下書稿(1)】を、性欲を主題としたものと──“主題とした”という表現はギトンのものですが──解釈しておられることを、付言しておきたいと思います。
なお、引用句中の「手も青じろく発光し」は、『銀河鉄道の夜』の「北十字とプリオシン海岸」で、ジョバンニとカムパネルラが銀河の水に手を浸すと、「二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えた」場面を想起させます。
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