ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.5.27
つぎに、秋枝美保氏は、ある意味で鈴木氏とは対照的な読みを示しておられ、賢治の信仰の動揺をうかがわせる部分を、まず指摘されます。
すなわち:
. 宗谷挽歌
「われわれが信じわれわれの行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。」
について、秋枝氏は:
「ここにあるのは、自分の信仰が『まちがひ』であるか、『ほんたう』であるかを、すべて妹からの交信に委ねようとする態度である。それは、信仰のあり方として危険な状態と言うべきではなかろうか。そこでは、何が魔であるかを見極めようとする主体的な意識の働きは影を潜めている。」
(秋枝美保,op.cit.,pp.217-218)
そして、上に続く
「みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。」
についても、秋枝氏は、
「これは、亡き妹からの交信を受けるためには、魔にさえ心を明け渡してもかまわないという決意であろう。それは、聖なるものか、魔性のものかはわからないが、とにかくどこかから何らかの啓示が降りてくるのをひたすら待っている状態である。」(a.a.O.)
として、
「詩人のこの時の精神状態は、正しく『シャーマン』(霊媒)の、精霊との交信の状況を思わせる。〔…〕
このとき、賢治の信仰は、信仰の起源に遡行して、『シャーマニズム』に最も接近したのではないかと思われる。」(op.cit.,p.219)
とされるのです。
ギトンが、秋枝氏の論旨に親近感を覚えるのは、「宗谷挽歌」などにおいて、賢治が必ずしも仏教教義の枠にとらわれずに思考していること、すなわち、詩的な素朴な観念に立っていること、そして、《異界》観の激しい動揺が見られることを、正当に指摘しておられるからです。
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