ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.5.21


そして、“妹の死”以後の動揺を加速したのは、賢治の“科学者”としての意識ではなかったかと思うのです。信仰の動揺を、科学によって解決しようとしたために、かえって懐疑の深淵に陥ってしまうこととなったように思います。

つまり、すでに何度も指摘しているように、“妹の死”をきっかけに、賢治は、《心象》として消しがたく存在する《異界》と、宗教の規定する“死後の世界”との関係の不透明さ、矛盾に悩んだのですが、

最終的には、それを、宗教に帰依することによってではなく、科学的方法によって解決しようとしました。賢治が、科学的方法に、そこまでの信頼を寄せていたのは、当時日本の仏教学界の“科学的傾向”や、いわゆる“大正生命主義”、ヘッケルの汎神論的科学主義、オストヴァルトのエネルギー論といった思潮の紹介が、背景にあったと思われます。


 

. 宗谷挽歌

 みんなのほんたうの幸福を求めてなら
 私たちはこのまゝこのまっくらな
 海に封ぜられても悔いてはいけない。
 (おまへがこゝへ来ないのは
  タンタジールの扉のためか、
  それは私とおまへを嘲笑するだらう。)

ここでもういちど、↑いまのパッセージを見ますと、賢治は、「私たちはこのまゝこのまっくらな/海に封ぜられても」云々と書いています。「私たち」は、賢治とトシのことと解するほかないのですが、まるで、トシがいま、この甲板に、賢治のそばにいるかのようです。
そして、そのすぐ後のカッコ書きで、「おまへがこゝへ来ないのは」どうしてなのかと穿鑿しています。

この状況を理解するために、私たちは、次のように理解してよいかもしれません。つまり、【第1章】の作品「春と修羅」には明示して書かれていたように、作者にとって、私たちの生きている《この世界》と《異界》とは、三次元的には同じ場所に重なって存在するのです。すなわち、「すべて二重の風景」です。したがって、《異界》に移った妹は、すぐ隣にいるかもしれません。しかし、作者はそれを知ることも感知することもできないのです。

なお、いま、この「宗谷挽歌」では、作者の観念の中で、仏教的な《天界》《地獄》などの枠組みは、棚上げされています。もっと素朴に、トシは、ここではない・どこか分からない《世界》に移っていると、賢治は考えています。それというのも、この詩篇では、そもそも仏教が信じられるのかどうかが、問題となっているからなのです!‥

あるいは、つぎのように解してもよいかもしれません。賢治は、じつは、「たのしさうに走って来」た「若い船員」を、トシだと‥トシの生まれ変わりだと“感じて”いるのです。

もちろん、仏教の教義──『倶舎論』に則って言えば、そんなことはありえません。8ヶ月前に死んだトシは、7日で人間に転生したとしても、まだ乳幼児のはずです。

しかし、肉親を亡くした人は、しばしば、そのような“神秘”を体験することがあるようなのです。ギトンは、栗谷川虹氏の最新の著書から、このことを教えられました☆

☆(注) 栗谷川虹『宮沢賢治の謎をめぐって』,2014,作品社,p.6.
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