ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.12


《勿忘草》を、原文、『海潮音』の訳文、逐語訳の順に引用しますと:

  Vergissmeinnicht
   (Wilhelm Arent)

Ein Bluemchen steht am Strom
Blau wie des Himmels Dom
Und jede Welle kuesst es
Und jede auch vergisst es

  わすれなぐさ
   (ヴィルヘルム・アーレント)

【上田敏・訳】
流れの岸の一本(ひともと)は み空の色の水浅葱(みずあさぎ)
波悉(ことごと)く口付けし はた悉く忘れ行く

【ギトン訳】
小さな花が大河のほとりに咲いている、
天の丸天井のように青い花が。
そして波はみなその花に口づけしてゆく
そしてみなその花を忘れてしまう

『海潮音』は、格調高い詩を格調高く翻訳したものですから、原文の細かい意味は犠牲になっています。そこで、あえてギトンの格調低い正確な逐語訳を掲げておきましたw

《水の周遊》と《わすれな草》を比べますと、
どちらも登場人物は「花」と「波」です。ただ、《水の周遊》では、「花」はおおぜい、「波」は一人。《わすれな草》では逆に、「花」は1本で、「波」がおおぜい。

場面もほとんど同じです。河畔に咲いている花のそばを、波が通り過ぎてゆく。

異なるのは、「花」「波」それぞれの言動と感情です。《水の周遊》では、「花たち」が、どうしてそんなに急ぐのか?、と尋ねるのに対し、「波」は、国々を旅して、また帰って来るのだと答えます。

↑もとの《水の周遊》は、このように、再会の約束──別れは一時的で、いつかはまた再会し、こんどはきっと愛し合おう、という明るい歌です。
賢治の訳は、「どうか、ここから去らないでくれ!」と、「花」が未練がましく縋りつくストーリーになっていますねw いずれにせよ、将来の再会に希望を持っているわけです。

しかし、《わすれな草》のほうは、岸辺に1本だけ咲く可憐な菫(青い花→すみれ?)。「波」が次々にやってきては‘束の間の愛’、しかし、誰も菫を覚えていてはくれない…という、まことに切ない刹那愛w

ヴィルヘルム・アーレントは、もしかすると、民謡の《水の周遊》にヒントを得て、この恋愛詩を作ったのかもしれません。

どちらも、去ってゆく者と引き止める者との間の会話で、2つの詩は、登場人物も場面も内容も、よく照応しています。

したがって、すくなくとも、保阪が《水の周遊》を知っていたのは、まちがえないでしょう。宮澤と保阪がいっしょに使った教科書なのかもしれません。
少なくとも、賢治のほうは、この詩に“やりなおし”の可能性を賭けていたかもしれません。

嘉内が、《水の周遊》でなく、《わすれな草》のほうを『家庭歌』の3番に取り入れたのは、その後も、そのまま賢治との仲が疎遠になってしまったことを、嘆く気持ちからだったかもしれませんね。
保阪が結婚したのは1925年3月ですから、1924年4月に出版された賢治の『春と修羅』を読んでから☆3番を付けた可能性はあるのです。

☆(注) 現在、山梨県韮崎市の資料館に所蔵されている保阪所有の『春と修羅』《初版本》には、「大正拾参年拾月 宮澤賢治兄より」と嘉内の字で記されているので、遅くとも1924年10月までに、嘉内は賢治からこの本を贈られています。
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