ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.5.9


研究史から、つぎに取り上げておきたいのは、秋枝美保氏です:

「この時期の賢治には、『ヘッケル博士』、あるいは科学的な理論に対して、かなり強い期待があったことも確かである。『ヘッケル博士』は、どこかで『銀河鉄道』初期形の『ブルカニロ博士』にも通じるところがある。〔…〕この時期の賢治は、ヘッケルの方向性についていってよいのかどうか、迷いのなかにあったのではなかろうか。〔…〕

 〔…〕『青森挽歌』の中の賢治の意識は、仏教の教えの中からすらはみ出していると思われる。妹の行方について様々な可能性を探しながら、『わたくしはどうしてもさう思はない』のである。〔…〕実は、仏教の教理さえ素直には受け取れない心境になっていたと言えよう。整合性のある理論や体系、科学や既成の宗教でも救われない何かが心の中にわだかまっており、賢治を惑わしている。〔…〕

   (宗谷海峡を越える晩は
    わたくしは夜どほし甲板に立ち
    あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
    からだはけがれたねがひにみたし
    そしてわたくしはほうたうに挑戦しやう)
〔青森挽歌──ギトン注〕



 詩篇『宗谷挽歌』の原稿の存在を知っている我々は、この言葉の意味を推測することができる。おそらくここに、賢治の心の深層にある最も偽りのない正直な気持ち、この旅の窮極の目的が現れていると思われる。〔…〕『けがれたねがひ』とは、亡き妹との交信を願う気持ちであろう。それは、賢治の信仰の迷いを断つ最後の手段であると同時に、それ自体生々しい愛欲の現れであることは言うまでもない。

 その交信は、宗谷海峡をわたる晩に試みられた。それを描いたのが『宗谷挽歌』である。だが、詩集本文の中からは、この窮極的な体験は削除された。」

(『宮沢賢治 北方への志向』,pp.212-216.)

「大塚
〔常樹氏──ギトン注〕は、詩篇『宗谷挽歌』における『挑戦』が『トシの霊、あるいは転生し別の世界の住人となったトシとの、神秘的な霊の交信(交霊術)』にあったのではないかと述べているが、示唆的な意見である。詩人のこの時の精神状態は、正しく『シャーマン』(霊媒)の、精霊との交信の状況を思わせる。〔…〕

 このとき、賢治の信仰は、信仰の起源に遡行して、『シャーマニズム』に最も接近したのではないかと思われる。」
(op.cit.,pp.218-219)

「この時期、日本の民間信仰の起源を、北方のシャーマニズムにみるという傾向は、
〔日本の宗教学界において──ギトン注〕かなり強かったと言える。それは、賢治が、自らの信仰に迷い、北へ北へと北上していったことに、そのまま重なっていく。

 こういった視点は、大正末期に近づくと、さらに人類の信仰の起源へと、壮大な構想に発展する傾向を見せたようである。〔…〕」
(op.cit.,p.224)

晩年には、遠野など地元岩手県の民間信仰に強い関心を示した宮沢賢治の信仰意識の変遷を考える上で、秋枝氏の構想は、たいへん興味深いのですが、
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