ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.5.7


また、鈴木氏は、

「海や空の鬼神は賢治に何を『試み』ようとしているのか。結論からいえば、賢治を海に落とすこと、空に擲げ出すことである。それはすでに、冒頭五行目に『私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか』と記されており、〔…〕」
(op.cit.,p.191)

と述べておられますが、この点も、ギトンの理解は、「私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか」は、より一般的に《境界》に結び付けられた民俗信仰的な怖れの感情であり、そこから、次行以降のトシに関する想念が引き出されていると考えます:宗谷挽歌

「もし妹とし子が今でも悪所(地獄界または餓鬼界)にとどまっており、そこからの通信が鬼神たち(「タンタジールの扉」)によって遮られているとしたならと考えた結果、」
(a.a.O.)

↑この点は、のちほど検討しますが、賢治は、むしろ、

「死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらう」
(イギリス海岸)

「どうして私が一諸に行ってやらないだらう」
(宗谷挽歌)

というような、より素朴な観念で考えているのだと思います。

ところで、この「宗谷挽歌」に限らないのですが、賢治は、死んだトシからの“通信”を受け取ることを、非常にしばしば求めています。
「風林」では、

「ただひときれのおまへからの通信が
 いつか汽車のなかでわたくしにとどいた〔…〕」

と言い、「青森挽歌 三」では、死去の翌月にトシ(としか思えない女の人)を町で見かけたとまで言いながら、なおそれだけでは満足できず、なぜ“通信”がないのかと訝しんでいるのです。

これは、死んだ人は居なくなったものと諦めてしまう私たちには、理解しがたいことですが、宗教を信ずる人々にとっては、どうなのでしょうか?

ここで、仏教、それも、伝統的な民間の信仰世界を、ちょっと覗いてみたいと思います。
資料は、『宇治拾遺物語集』☆の比較的有名な説話です:

☆(注) 12世紀末〜13世紀初めに成立。中島悦次・校注『宇治拾遺物語』,角川ソフィア文庫,pp368-375(解説).




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