ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.5.5


. 宗谷挽歌

 けれどももしとし子が夜過ぎて
 どこからか私を呼んだなら
 私はもちろん落ちて行く。

 とし子が私を呼ぶといふことはない
 呼ぶ必要のないとこに居る。

 もしそれがさうでなかったら
 (あんなひかる立派なひだのある
  紫いろのうすものを着て
  まっすぐにのぼって行ったのに。)
 もしそれがさうでなかったら
 どうして私が一諸に行ってやらないだらう。

むしろ、上の第2段に表れた観念は、「青森挽歌」で、《天界》への上昇をイメージ豊かに描いていたような・『倶舎論』に依拠しつつも多分にファンタジックな転生観念と考えられます。

そして、第3段も、「ひかる立派なひだのある/紫いろのうすものを着て」とあるように、ファンタジックな仏教的転生観念が色濃く反映しています。

つまり、純宗教的に見れば、メルヘンのような曖昧な観念かもしれませんが(そこから“成仏”というようなことは考えられません)、「宗谷挽歌」で賢治が見ている“トシのいる死後世界”は、このようなファンタジックな《天界》のイメージか、そうでなければ、やはりファンタジックな《地獄》のイメージ──それもやはり「青森挽歌」に描かれていました──なのだと思います。

そのようなファンタジックな《地獄》にトシがいるのであれば、「どうして私が一諸に行ってやらないだらう」──「一諸に行ってや」ることは可能だ。なぜなら、そこは、“トシの死”以前に賢治が抱いていた・メルヘン的な《異界》としての《地獄》に、ほかならないのだから。。。

さて、ここで少し研究史を見ておきたいと思います。

まず、鈴木健司氏は、つぎのように解説します:

「賢治は、法華経の受持という功徳により天界に往生する自己を想像し得なかった。これは信仰の問題でなく倫理の問題である。したがって、このような賢治の倫理は、妹とし子の転生に関しても、『あいつはどこへ堕ちやうと』というように、悪所(地獄界や餓鬼界)の想定を導かざるを得ないことになる。」

(『宮沢賢治という現象』,pp.189-190.)
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