ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.5.2
. 宗谷挽歌
こんな誰も居ない夜の甲板で
(雨さへ少し降ってゐるし、)
海峡を越えて行かうとしたら、
(漆黒の闇のうつくしさ。)
私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか。
それはないやうな因果連鎖になってゐる。
日本には古くから、国境や、あるいは、(古くは)村ざかいのような“境界”を、《他界(死者の世界)》とかかわりのある場所と考える観念がありました。
村界に建てられた庚申塔や、“めおと地蔵”☆、イザナギ・イザナミ神話の「よもつ・ひらさか」などは、そうした《他界》観念の現れだと言われています。
☆(注) これらは《境の神(いのかみ)》と呼ばれ、《境界》に対する古い時代の信仰に起源があると言われています。《境の神》は、しばしば男女が抱き合った形で表されます。セックスは、新たな生命を生み出す行為として、ふしぎなもの、《異界》と繋がるものと考えられたようです。
何度か触れたと思いますが、宮沢賢治も、このような古くからの他界観念を持っていたと思います。
サハリンという“準外国”との境界である宗谷海峡は、賢治にとっては、生涯初めて越える“国境”でしたから、
‥無事に超えて“外国”に行けるのか、それとも、“境界”から他界へ‥死者の世界へ行ってしまうのではないか‥そんな不安を持っていたとしても、おかしくはないと思います。
もちろん、理化学を学んだ賢治にとっては、それは迷信的な恐怖に過ぎないのですけれども、不安は、やはり不安としてあるのだと思います。
「私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか。」
は、単なるファンタジーではなく、じっさいに不安として感じていたのです。
「それはないやうな因果連鎖になってゐる」という次の行が、科学人としての賢治の回答です。
「漆黒の闇のうつくしさ」──風景の中の闇黒に対して、賢治はいつも、なにかしら惹かれるものを感じていたことは、これまでに検討した作品にも随所に出ていました。ここでは「美しさ」と言っていますが、‥
“闇の魅惑”は、他界、死、性愛、‥‥そういったものと結びついているのだと思います。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこからか私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
とし子が私を呼ぶといふことはない
呼ぶ必要のないとこに居る。
もしそれがさうでなかったら
(あんなひかる立派なひだのある
紫いろのうすものを着て
まっすぐにのぼって行ったのに。)
もしそれがさうでなかったら
どうして私が一諸に行ってやらないだらう。
↑↑意味のつながりが分かりやすいように、段落に区切ってみました。
さて、ここで、第6章の「永訣の朝」以来読み取ってきたことを、おさらいしておく必要があります:
第5章「東岩手火山」以来、現実の社会に生きる《見者(voyant ヴォワイヤン)》としての主体的自我の確立を目指してきた宮沢賢治にとって、《妹の死》という事件は、2つの意味で深刻な試練でした。
一つには、それまで賢治が見てきた──というよりも、否応なく“見せられて”きた──《異界》とは、
じっさいに、この《ひとの世界》で、誰かが亡くなった時に移って行くと言われている“死者の世界”《死後界》と、どんな関係にあるのか?‥
同じなのか、違うのか?‥
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