ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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    【66】 旭 川




7.4.1


. 旭川

 植民地風のこんな小馬車に
 朝はやくひとり乗ることのたのしさ
 「農事試験場まで行って下さい。」
 「六条の十三丁目だ。」
 馬の鈴は鳴り馭者は口を鳴らす。
 黒布はゆれるしまるで十月の風だ。
 一列馬をひく騎馬従卒のむれ、
 この偶然の馬はハックニー
 たてがみは火のやうにゆれる。
 馬車の震動のこころよさ
 この黒布はすベり過ぎた。
 もっと引かないといけない
 こんな小さな敏渉な馬を
 朝早くから私は町をかけさす
 それは必ず無上菩提にいたる
 六条にいま曲れば
 おゝ落葉松 落葉松 それから青く顫えるポプルス
 この辺に来て大へん立派にやってゐる
 殖民地風の官舎の一ならびや旭川中学校
 馬車の屋根は黄と赤の縞で
 もうほんたうにジプシイらしく
 こんな小馬車を
 誰がほしくないと云はうか。
 乗馬の人が二人来る
 そらが冷たく白いのに
 この人は白い歯をむいて笑ってゐる。
 バビロン柳、おほばことつめくさ。
 みんなつめたい朝の露にみちてゐる。

この詩の1923年8月2日という日付も、原稿にはなく、こちらで旅程の推定によって付けました。

作者は、午前4時55分着の網走行普通列車で旭川に到着します。ここで、あとから来る旭川午前11時54分発の稚内行(上野から来る急行列車ですが、旭川の手前の滝川[根室方面との分岐駅]からは普通列車になります)に乗り換えるのが、もっとも安価に樺太へ渡れる方法だったからです☆

☆(注) 藤原浩『宮沢賢治とサハリン』,pp.14-17. 『公認汽車汽船旅行案内』346号(大正12年6月15日現在),1923.7.1.,旅行案内社,pp.190-194.

そこで、旭川で、7時間の待ち時間があるわけですが、宮沢賢治は、この時間を利用して、旭川にある農事試験場を訪ねようとしたようです。

↑上の詩の時刻は、最後の行に、草木が「みんなつめたい朝の露にみちてゐる。」とありますから、早朝でしょう。駅前で賃走馬車に乗り、「六条の十三丁目」の農事試験場を目指します。

さて、この試験場は、《上川農事試験場》(1910年「北海道農事試験場上川支場」と改称)と言って、当時、旭川郊外の永山村にあって、旭川駅からは10`bほどの距離でした。

10キロ程度ならば、馬車を飛ばせば1時間程度で着くのではないかと、ギトンは思います。待ち時間は7時間あるのですから、余裕で行って来られたと思うのです。
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