ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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   【65】 駒ヶ岳





7.3.1


「駒ヶ岳」と、その次の「旭川」は、短い断片的な作品で、日付もありません。「津軽海峡」に続けて一つの作品の各章にする意図だったかもしれません。

. 駒ヶ岳

「弱々しく白いそらにのびあがり
 その無遠慮な火山礫の盛りあがり
 黒く削られたのは熔けたものの古いもの
  (喬木帯灌木帯、苔蘚帯といふやうなことは
   まるっきり偶然のことなんだ。三千六百五十尺)
 いまその赭い岩巓に
 一抹の傘雲がかかる。
    (In the good summer time, In the good summer time;)
 《ごらんなさい。
  その赭いやつの裾野は
  うつくしい木立になって傾斜(スロープ)もやさしく
  黄いろな林道も通ってゐます。》
 『全体その海の色はどうしたんでせう。
 青くもないしあんまり変な色なやうです。』
 『えゝ、それは雲の関係です。』
 何が雲の関係だ。気圧がこんなに高いのに。」

1923年8月1日という日付は、旅程の推定によって付けました。

函館12時分発の普通列車で、函館本線を旭川へ向かっています。

ちなみに、当時、函館から札幌・旭川方面へは、長万部で海岸から離れて→倶知安→小樽→札幌→‥と行く函館本線しかありませんでした。現在主に利用されている室蘭本線・千歳線周りのルートはまだ開通してませんから、ご注意を!☆

☆(注) 研究者でも、この点を間違えて論文を書いている人がいるくらいですw

駒ヶ岳(1131m)は、函館を出てまもなく、大沼と森駅の間で沿線に聳える双耳峰の火山です。各地の“駒ヶ岳”と区別して“北海道駒ヶ岳”とも言います。
山頂部には直径約2`bの爆裂カルデラ(火口原)があり、へりの高くなった頂きは、西の剣ヶ峯(1131m)、北の砂原岳(1112m)などです。

この爆裂カルデラは、1640年の噴火で山体の上部を噴き飛ばしてできたもので、もとは富士山型のコニーデ火山でした。麓の大沼、小沼は、この時、山体が崩壊した土砂で川が堰き止められてできました。
その後も火山活動は活発で、20世紀には何度も噴火を繰り返していたので、山体部分は植物の無い裸地でした。現在、中腹まで生えてきているカラマツ、エゾマツなどの若木やカルデラの高山植物は、1990年代以降、火山活動の沈静化によって生育したものです。

したがって、宮沢賢治が列車で通過した当時も、麓以外は裸地だったと思われます。

↓これは、1989年の写真だそうですが、おそらくこんな景観だったでしょう。とがったデコボコの頂きが剣ヶ峯です。



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