ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.5.5


しかし、この詩「白い鳥」について言えば、湿原だけで、広い水面のない岩手山中腹に、はたしてハクチョウは、飛来するのでしょうか?そもそも、ハクチョウは、6月初めには本州にはもういません!!

45-50行目のヤマトタケル伝説でも、伝説では白鳥なのに、賢治は「千鳥」と書いているくらいです☆

☆(注) 『古事記』には、「ここに八尋白智鳥に化りて、天に翔りて浜に向きて飛び行でましき。」(倉野憲司・校注『古事記』,「倭建命の薨去」,岩波文庫,p.144)とあって、「八尋白智鳥(やひろしろちどり)」はハクチョウを意味すると解されています。しかし、賢治はこれを、大きな白いチドリと理解していたようです。

「二疋の大きな白い鳥」は、鋭い鳴き声を交している、ということから考えますと、ムクドリではないかと、ギトンは思います。じっさい、ハクチョウの鳴き声は、鋭いとか、哀しいという感覚を呼び起こさない気がするのですが‥w

. 春と修羅・初版本

18兄が來たのであんなにかなしく啼いてゐる
19 (それは一應はまちがひだけれども
20  まつたくまちがひとは言はれない)
21あんなにかなしく啼きながら
22朝のひかりをとんでゐる
23 (あさの日光ではなくて
24  熟してつかれたひるすぎらしい)

19-20行目、23-24行目の字下げ括弧書きの行は、作者の内なる“理性の声”で、鳥が鳴いているのは「兄が來た」からではないし、今は朝ではなく昼過ぎだと言っています。

「白い鳥」の哀しい声に呼び覚まされた作者の感覚は、鳥たちが「朝のひかりをとんでゐる」ように感じるのですが、それは夜行登山の往復で疲労しているために生じた錯誤で、作者と周囲の《心象》状況は、よく見れば、「熟してつかれたひるすぎ」なのだと言っているのです。

25けれどもそれも夜どほしあるいてきたための
26vaguc (バーグ) な銀の錯覺なので
27   ちやんと今朝あのひしげて融けた金(キン)の液体が
28   青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た)

そこで、表層意識の・やや“幻視”に近い感覚も、疲労していることは認めますが、「vague な銀の錯覺」などと言っていて、なお“幻視”がまとわりついています。

「vaguc(バーグ)」は vague の誤植。フランス語で、‘漠然とした,ぼんやりした’。

それに対して、字下げ括弧書きが回想する日の出のようすも《心象》風景です。

「ひしげて融けた金の液体」は、金色の光芒を伴った朝日。
朝日は東のほう、つまり北上山地から昇ります。

「青い夢の北上山地」は、朝日の下で北上山地が靄に青く沈む光景を表現しています★

★(注) 第2章の「蠕蟲舞手」で、“理性の声”が揶揄して言うことば:「それともみんなはじめから/おぼろに青い夢だやら」が想起されます。

けっきょく、作者の分裂した双方の感覚は、どちらも主張を貫けず、曖昧になってしまう感じです。

ちょっと注意しておきたいのは、ここでは、@亡き妹を指向する幻視・幻聴と、A通常の《心象》感覚とが分かれていることです。これは、「永訣の朝」でも説明しましたが、賢治のこれまでの《異界》の《心象》(A)が、現実の肉親の死、その行くえ如何という問題(@)を受け入れかねていることによるのだと思います。




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