ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.5.4


「『ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか/けさはすずらんの花のむらがりのなかで』をみると、ゆうべとけさに、時差のあることがわかる。柏ばやしの夜は〔…〕『裾野の柏原の星あかり、銀河のはなつひかりの中』と別れた友嘉内に通じることばであり、すずらんの群がりは死にゆく妹に、おまえは『なつののはらの/ちいさな白い花の匂でいっぱい』(無声慟哭)だと言いたくて、言えなかった妹トシのことではなかったか。トシの死ぬ一年三ヵ月前に賢治は嘉内をひきとめることができず失っているのだ。〔…〕『ゆふべ』は嘉内を呼び戻そうと、そして『けさ』は妹を呼び戻そうとして、その名を呼んだのだ。しかし、友を説得することもできず、自分から去っていった友に抱き続けている未練、また兄を心から信じて死んでいった妹を裏切った自分に対し、内面の賢治の声が激しくあざける。」
(op.cit.,pp.190-191.)

もっとも、「風林」には:

37とし子とし子
    〔…〕
40きつとおまへをおもひだす
    〔…〕
49とし子 わたくしは高く呼んでみやうか

と書かれていたわけですが、作者がはっきりと名指して書くわけにいかない保阪嘉内に対しても、深い思いで呼びかけていたにちがいないことは、「風林」のところで論じたとおりです。

細かい詩句の解釈はともかくとして、

29どうしてそれらの鳥は二羽
30そんなにかなしくきこえるか
31それはじぶんにすくふちからをうしなつたとき
32わたくしのいもうとをもうしなつた

という部分が、亡き妹だけで解けないことは、あきらかでしょう。

「じぶんにすくふちからをうしなつた」とは、「わたくし」が:

「あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
 毒草や螢光菌のくらい野原をただよふとき」
(無声慟哭)

という状態にあること。つまり、保阪とともに“理想の国”に向って進んで行こうという“誓い”は破れ、法華経の信仰に対する自らの疑いを静めることもできず、瞋恚と愛憎に満ちた「青ぐらい修羅」の暗い迷路で呻吟している作者の状態のことであり、

そのような彼自身さえ救われない状態で妹の死を迎えたからこそ、単に肉親との死別が悲しいというだけでなく、

「妹を亡くした肉親としての哀しみの裏にもう一つ、妹を裏切り通したまま黄泉の国へ送り出してしまった背徳者の哀しみ」
(op.cit.,p.192)

つまり、《心象》の中で、すべてを見通した亡き妹の「かなしい」眼に、非難されつづけるという悲哀に沈んでいるのです。

37 またたれともわからない聲が
38 人のない野原のはてからこたへてきて
39 わたくしを嘲笑したことか)

この「野原のはてから」木霊のように返って来る声は、「内面の賢治の声」というより、《異界》からの声のように賢治には思われたことでしょう‥

それは、死んだトシの声なのか、保阪のなじる声の反響なのか、それとも、「永久に〔…〕地を這ふ」もの、「陰湿の夜の〔…〕鬼神たち」(宗谷挽歌)の声なのか、賢治自身にも判断がつかなかったのではないでしょうか。。。

さて、先を急ぎすぎましたので、少し戻って、ぬかしたところを読んで行きます:

. 春と修羅・初版本

13二疋の大きな白い鳥が
14鋭くかなしく啼きかはしながら

この「白い鳥」をハクチョウとみなす解釈が多いようです。

とくに、この年8月の“サハリン”旅行で、賢治は、栄浜(スタロドゥプスコエ)の北にある《白鳥湖》を訪ねている形跡があるので☆、トシの霊と信じたハクチョウを追いかけてサハリンに渡ったのではないか、というロマンチックな憶測★まで生んでいますw

☆(注) 《白鳥湖》は、賢治の到達した最北端です。詳しくは、第7章の詩「オホーツク挽歌」で(お楽しみに!)。たしかに、《白鳥湖》の近くまで行ったと読めるのです。なお、当時のサハリン地図には、この《白鳥湖》も記されていますから、賢治が目指して行ったことは、たしかにありうるのです。

★(注) 「賢治は、トシの魂は北の彼方へと向かっていったと考えていた。それは、〔…〕トシを北からの渡り鳥である白鳥に例えていることからも伺える」(藤原浩『宮沢賢治とサハリン』,2009,東洋書店,ユーラシア・ブックレット No.137,pp.10-11.) しかし、「トシを‥白鳥に例えている」としているのは、作品「白い鳥」の読み誤りです。
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