ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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【62】 白い鳥





6.5.1


1932年6月4日付の「白い鳥」は、生徒たちと夜間歩行で岩手山に登ったあと、翌日の下山路での風景です。
白樺などが生えたひろびろとした草原に、馬が放し飼いになっています:春と修羅・初版本

場所は、

04古風なくらかけやまのした

と言っていますから、《相の沢(あいのざわ)牧野》のあたりかと思われます:相ノ沢牧野(一番下の写真と地図)

岩手山頂から相の沢方面へは、9合目《不動平》で柳沢登山道と岐れて御神坂(おみさか)道を下れば直接行けます。御神坂道は、賢治の時代からありました。

もっとも、登路の柳沢登山道をそのまま戻って来ても、馬返し〜柳沢間は草原で、当時は、夏季のあいだ馬を放し飼いにしていましたから、そのあたりの風景かもしれません。

「風林」と「白い鳥」に出ている名前から、同行している生徒は、次のとおり:

小田島國友、佐藤傳四郎、堀田昌四郎、河村俊雄、高橋俊雄?、清原繁雄(以上、花巻農学校2年)、宮澤貫一(前年退学、現:岩手工業学校)

時刻については、やや問題があります:

. 春と修羅・初版本

13二疋の大きな白い鳥が
14鋭くかな[しく]啼きかはしながら
15しめつた朝の日光を飛んでゐる
    〔…〕
22朝のひかりをとんでゐる
23 (あさの日光ではなくて
24  熟してつかれたひるすぎらしい)
25けれどもそれも夜どほしあるいてきたための
26vaguc (バーグ) な銀の錯覺なので
27 ちやんと今朝あのひしげて融けた金(キン)の液体が
28 青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た)

行頭からの詩行では「朝」、字下げの括弧書きでは「ひるすぎ」となっていて、詩の表現をそのまま信用すれば、じっさいには朝だが、“けさ日の出を見た”という幻覚、“今は昼過ぎらしい”という幻覚を持っている──ように読めます。

しかし、登路の「風林」のカシワ林が午前零時前後だとすると、山頂へ行って、朝までに山麓へ戻る日程は、きつ過ぎます。登山は初めての生徒が数人、しかもワラジ履きだとすると、それは無理です。やはり、現在時は昼過ぎと考えなければなりません。

現実視と幻視の関係を、詩では逆転させて書いていると考えるべきです。岩手山登山路という非日常的な風景なので、それも可能なのだと思います。
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