ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.4.7


16「あゝ、俺
あど、死んでもい。」
17「おらも死んでもい。」
18 (それは宮澤かさうでなければ小田島國友、
20  向ふの闇のところがきらきらっと顫ふのは
22  Egmont Overture にちがひない。
23  誰がいまの返事をしたかは私は考へないでいゝ。)

検討中の箇所を、【清書後手入れ稿】で見ると、↑このようです。

「おらは後、死んでもいい」という、ばてた生徒のつぶやきに、遠くの闇から木霊のような返事が返ってきて、同時に、闇が輝いたような震えとともに、腹の底からゆさぶるようなエグモント序曲が、《異界》からのように響いてきます。

ギトンには、これが、トシひとりの死にまつわる想念とは思えないのです。
そこには、人類の進歩と自由の歴史の中で、犠牲となって倒れた無数の人々が見えるはずですし、そうしたスケールを無視しては、宮沢賢治の本意にももとると思うのです。

そこで、ユニークな解釈を提示されている菅原智恵子氏の議論を参照してみたいと思います:

「柏ばやしの夜は手紙にもむし返されたように、『裾野の柏原の星あかり、銀河のはなつひかりの中』と別れた友嘉内に通じることばであり、〔…〕

 嘉内をまことの道へ誘い導くはずの自分が、逆に説得されて法華経に疑念を抱いてしまった。もはや嘉内を折伏して法華経を信じさせるどころか、ただ一人の友嘉内をも手放し、そして今度は、信仰に対する迷いのさなかに妹をも失う。」

(『宮沢賢治の青春』,角川文庫,pp.190-191.)

盛岡高等農林在学中の1917年7月14-15日、宮澤賢治と保阪嘉内は、二人だけで岩手山登山を行ない、その時のもようを歌に詠んでいます。




まず、嘉内の歌:

「柳沢のはじめに
 来れば真つ白の
 銀河が流れ
 星が輝やく

 松明が
 たうたう消えて
 われら二人
 牧場の土手のうへに登れり」
(op.cit.,p.42)

賢治の歌:

「柏ばら
 ほのほたえたるたいまつを
 ふたりかたみに
 吹きてありけり」
(『歌稿B』#547)

「琥珀張るつめたきそらは明ちかく、おほとかげらの雲をひたせり」
(『アザリア』第2号)

嘉内の2首と、賢治の最初の歌は、柳沢付近の柏野原で、二人の持っていた松明(たいまつ)の炎が消えてしまい、互に相手の松明の燠(おき)を吹き合っていたが、それも消えたので、土手の上に登って休んだ、というもの。

賢治の2首目は、7合目での明け方の空です。「琥珀」は「真空溶媒」に、「大とかげ」(恐竜) は「小岩井農場・パート4」に出ていましたよね?w
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