ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
45ページ/73ページ



【60】 無声慟哭

小説・詩

6.3.1


1922年11月27日付け“三部作”の最後です。

. 春と修羅・初版本

01こんなにみんなにみまもられながら
02おまへはまだここでくるしまなければならないか
03ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
04また純粹やちいさな徳性のかずをうしなひ
05わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
06おまへはじぶんにさだめられたみちを
07ひとりさびしく往かうとするか
08信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
09あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
10毒草や螢光菌のくらい野原をただよふとき
11おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
12(おら、おかないふうしてらべ)※

  ※あたしこわいふうをしてるでせう

13何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
14またわたくしのどんなちいさな表情も
15けつして見遁さないやうにしながら
16おまへはけなげに母に訊くのだ
17 (うんにや ずゐぶん立派だぢやい
18  けふはほんとに立派だぢやい)
19ほんたうにさうだ
20髪だつていつさうくろいし
21まるでこどもの苹果の頬だ
22どうかきれいな頬をして
23あたらしく天にうまれてくれ
24《それでもからだくさえがべ?》
25  《うんにや いつかう》
26ほんたうにそんなことはない
27かへつてここはなつののはらの
28ちいさな白い花の匂でいつぱいだから
29ただわたくしはそれをいま言へないのだ
30 (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
31わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
32わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
33ああそんなに
34かなしく眼をそらしてはいけない

どうでしょうか?
「わたくし」の独白の陰鬱さは、前2作と比べて、はるかに深刻で、目立ちます。

しかし、最初の行から「みんな」が登場します。この「みんな」は、臨終の枕辺に集まった親族・親類の人々です。
そして、これまでと違って、会話は、「わたくし」と妹の間ではなく、母と妹の間で交され、「わたくし」はそれを聞きながら、心の中で独白し、心の中で妹に向かって呼びかけます。

「わたくし」と妹の間の意思の交換は、わずかに眼によって行われますが、妹は、「わたくし」に対して、

「あきらめたやうな悲痛なわらひやう」

を見せるばかりか、最後には、悲しそうに「わたくし」から視線をそらしてしまいます。それに対して、作者は、

「ああそんなに/かなしく眼をそらしてはいけない」

と嘆くことしかできないのです☆

☆(注) ギトンは、「かなしく眼をそら」そうとしているのは、トシだと解します(もちろん、作者の描くフィクションの内容として)。しかし、作者「わたくし」が、妹を正視できず、「かなしく眼をそら」していると読むことも可能です。たとえば:鈴木健司『宮沢賢治という現象』,2002,蒼丘書林,p.176. この行は、“無声慟哭三部作”の最後にあたるわけですから、どちらに解するかは、とくに、第7章「オホーツク挽歌」の理解に影響を与えるでしょう。ギトンが、“トシが「かなしく」目をそらす”と解するのは、「人間よりも下方世界への転生という恐れを抱いたままこの世を去った妹」(op.cit.,p.177)に対する賢治の悔恨の思い、そして、「松の針」の「わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ/泣いてわたくしにさう言つてくれ」と同様の賢治の“甘えと弱さ”を、とくに強調して理解しておきたいからです。

もちろん、ここに書かれていることは、母とトシの会話にしろ、トシの視線の動きにしろ、「悲痛なわらひ」にしろ、すべてフィクションです。すでに、「永訣の朝」で詳しく見たように、この死亡当日には、トシは人事不省状態で、言葉を喋ったり、自由に視線を動かしたり、といったことは、もはやできない状態だったと考えられるからです。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ