ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.1.26


こうして、じっさいの“トシ臨終”事件の悲惨な一部始終☆は捨象され、確信しつつ死に赴く「けなげないもうと」と、死の確信をおずおずと受け入れながら見送る「わたくし」──「まがった鉄砲だま」との交感の世界が創造されたのです。

☆(注) この“悲惨さ”とは、“ただひとりの兄”が、臨終の枕辺にずっと付き添ってやることさえ思いつかなかったという“悲惨さ”、その兄は、たまたま駅を通過する宗教団体の偉いさんに挨拶しに行ってしまい、帰ってきた時には、妹はすでに意識がなかった(おそらく!‥)という“悲惨さ”です。この現実の“トシ臨終”事件を、宮澤賢治が、自然主義よろしく、ありのままに赤裸々に書くことができたとしたら、彼は、(太宰治には及ばなくとも)志賀直哉以上の小説家になっていたことは間違えないと思います。しかし、賢治は、そういう方向へは進みませんでした。

死者と生者の“別れの挨拶”がなければならないという一種宗教的な要請から、ひとつの作品世界が創造されたわけで、それは、まさに“決死のわざ”でした。とはいえ、それも、作者に、信仰に対する‘真摯な’気持ちがなければできないことだったとは言えるのかもしれません。

その意味では、これらの詩には、「天上のものに類する」「素朴な言葉」、「清浄の気」、「崇高の美」があふれているという高村光太郎の評価も、ある意味で、当たっていなくはないのです。

あるいは、つぎのように言うこともできるかもしれません:

作者が、トシが息を引き取る前に時間を戻して、“霊的会話”を構成したとき、現実の賢治はすでにトシの死を通過していたのですから、作者には“死の確信”がありました。
そして、いったん持ってしまった“死の確信”は、創作の都合で捨て去ることができるようなものではありません。

トシ生前には、どうしても信じられなかった死であっても、それに直面し、叫んでも反応しないトシの身体を抱きかかえ、押入れに潜って慟哭したあとでは、厳然たる事実として受け入れないわけにはいかなかったのです。

そこで、“タイムスリップ”によって創作された“霊的交感”においては、生前の時点においてすでに、避けられないものとして死を“予定”しつつ会話を交すこととなったのです。

こうして、死を、まるで旅行にでも出かけるかのように当然に予定し、自分の死を、予定のように安らかに受け入れている“「けなげ」な妹”というトシの人物像が生まれました。

それに対して、作者の分身である「わたくし」のほうには、どうしても暗い葛藤と躊躇が残る★ために、

★(注) それまで消し去ってしまったら、まさに“詩の自殺”でしょう。

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

という‘妹のことば’(ただし虚構)のリフレインによって、「わたくし」の意識の‘覚醒’を促す必要があったのです。

こうして、「屈折率」以来の「でこぼこ凍ったみちをふみ」行く鬱屈した歩みとは対照的に、決意に充ちて運命に向き合おうとする「永訣の朝」の世界が、現出したのだと思います。

もちろんそれでも、作者には、創作したという意識が残ります。ですから、作者の意識は、この三部作のみならず、翌年の「オホーツク挽歌」の章に至るまで、動揺を続けることとなるのです。

21ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
22わたくしもまつすぐにすすんでいくから

と誓ったにもかかわらず、その後もずっと動揺が続くのは、この誓い自体が、いわば創作されたフィクションであり、妹の死を乗り越えて「まつすぐにすすんでいく」べきだという倫理的要請を、“霊的会話”によって妹から与えられた“光”であるかのように、意識的に構成したのであり、かつ、そのことを作者は知っているからなのです。

トシと“別れの挨拶”を交すことができなかった、死後においても、トシからの“通信”を受け取ることさえできない‥という、第三者から見れば当たり前の自然な事実であっても、賢治は、これを受け入れかね、長い間その“不条理”に悩まされることとなります。
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