ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.1.22


他方、母イチは、トシについて、賢治とはやや別のことを考えていました。ふたたび、細川キヨの回想(森荘已池による聞書き)から引用しますと:

「そのうちに、おしげさん
〔次女──ギトン注〕に縁談があってお嫁さんにいくことにきまりました。〔…〕妹の晴着姿を、としさんは、美しいこと、りっぱだこと、かわいいことと、しきりにほめていましたが、じぶんがあんな晴着を着る日があるのかないのかと思っているのではないかと考えると、いとしくてなりませんでした。としさんが死んだあとでお母さんが、

『お嫁さんにしないで死んでしまったのはほんとうにくやしい。』

といったものでした。

〔…〕十六か十七になれば、田舎の方ではもうお嫁にいっていた時代です。としさんが普通の女の人ではなく、美しくて聡明でそのために女子大学にも入り、かえって結婚すべきときに結婚しないで処女のまま死んでしまったことは、お母さんとすれば、なかなかあきらめきれなかったことでしょう。」
(『宮沢賢治の肖像』,pp.152-153.)

この母の思いから察しますと、トシの「こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる」というのは、(かくべつに世のため人のためということよりも)人並みに結婚もして、両親も安心させ、子供も育て、婚家の家族とも仲良くする普通の生活がしたい──ということではないでしょうか。

細川キヨが:

「多くの人にめいわくばかりかけて、じぶんはじぶんひとりのことばかり苦しんで、みんなに申しわけないということだったでしょう。」

と解釈しているのも、これに近いと思います。
細川キヨによれば、トシは賢治よりも実際家で、“大人の考え方”をする人だったようです:

「いつか汽車の中で、困る人をみて、五十円も金をやりたかったけれど、二十円しかなかったので二十円くれてやったと賢さんが話したことがありました。としさんはその話をきいたとき、
『賢さんに、おらほの家のあとをつがれれば、おらほの家は、かまどかえすごった。』と言いました。(森註・賢さんが、私の家のあとつぎになったら、私の家は破産してしまうだろう)人にばかりつくしていて、そのほかのことは考えないのだからといっていました。こんなときはとしさんの方が姉さんのように見えます。」
(op.cit.,pp.150-151.)

おそらく、「うまれでくるたて‥」と述べたトシ自身の気持ちは、賢治の理解よりも、母の「くやしい」気持ちや、細川キヨの解釈する「みんなに申しわけないという」気持ちに近かったのではないかと、ギトンは思います。

「うまれでくるたて‥」で始まるトシの言葉には、「もう生まれたくない」と言うにも近いニュアンスが感じられないでしょうか?「病気にしろ他のことにしろ、自分のことばかりで苦しんできた。もうたくさんだ。」と言わんばかりではないでしょうか?☆

☆(注) ここで想起されるのは、二度にわたって映画化された『貝になりたい』の中で、主人公が、戦犯として死刑になる夜、僧侶から、「生まれ変ったら何になりたいか?」と聞かれたのに対し、答えられず、最後に絞首台に向かう途中で、率直な性格のために罪を着せられたことを悔いて、「生まれ変ったら、貝になりたい」と心に念じる場面です。

トシの最後の言葉を、このように理解すれば、そのあとの終結部は、改稿前の【印刷用原稿】の形:

「どうかこれが天上のアイスクリームになるやうに
 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」

のほうが、ずっと自然ではないでしょうか?

“ろくなことがなかった。生まれてくるったって、こんな人生は、もうたくさんだ。”と言うトシに対して、「わたくし」は、せめてもの真っ白い雪の一椀を捧げ、それが死後の世界では、トシの好きなアイスクリームになるよう願ったのです。

詩「永訣の朝」は、やはり、最後まで、「わたくし」と「おまへ」の二人の“霊的別れ”の世界に終始したほうが、自然に思われます。
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