ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.1.13


作者賢治をして、印刷途中の段階に至ってテキストを改め、「みんな」を含む55行目を挿入させた“宗教的要請”とは、次のようなことでした:

すでに、作品「小岩井農場」のところで詳しく書きましたが、「小岩井農場・パート9」の終り近くにある次の部分は、これまた、【下書稿】【清書稿】から【印刷用原稿】に移る段階で書き加えられたのでした:

「もしも正しいねがひに燃えて
 じぶんとひとと万象といつしよに
 至上福しにいたらうとする
 それをある宗教情操とするならば
 そのねがひから砕けまたは疲れ
 じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
 完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
 この変態を恋愛といふ」

つまり、自分ともう一人の二人だけが幸福になるよう願うのは、「正しいねがひ」が錯乱・疲弊した結果であり、変態だ。正しい「宗教情操」は、「じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」ことだ、と言うのです。☆

☆(注) この部分は、トシ死亡の後で加筆されていますから、肉親との死別によって直面した“人間は死の向こう側まで付いて行くことはできない”という《他者性》の認識を、トシ死亡以前の「小岩井農場」スケッチ当時に悩んでいた恋愛問題(おそらく保阪嘉内との)にまで及ぼして、この“公式”を考え出したのだと思われます。

また、「青森挽歌」の最後の部分──これまた【印刷用原稿】で差し替え改変を受けた部分★──では:

★(注) 入沢康夫『プリオシン海岸からの報告』,1991,筑摩書房,pp.401-402. 印刷所に原稿を渡す前と渡した後にそれぞれ、この部分の【印刷用原稿】が差し替えられたと思われます。

「     《みんなむかしからのきやうだいなのだから
       けつしてひとりをいのつてはいけない》
 ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
 あいつがなくなつてからあとのよるひる
 わたくしはただの一どたりと
 あいつだけがいいとこに行けばいいと
 さういのりはしなかつたとおもひます
 ひとりのためにいのりはしなかったとおもいます」

これは、まさに“死んでゆく一人の幸福のみを祈ってはならない、「みんな」の幸福を祈らなければならない”ということで、「永訣の朝」末尾の改変と同じ思想に基いていると言えます。

しかし、“自分の肉親だけが往生すればいいと願ってはならない”というのは、もともと浄土真宗にある考え方だと思います。

『歎異抄』には、

「親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏まふしたることいまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世生の父母兄弟なり、いづれもこの順次生に仏になりてたすけさふらうべきなり。」〔親鸞は、なくなった父母の追善供養のためだといって念仏をしたことは一度もございません。といいますのは、すべての生きものは、因果の理によって、いったん死んでも、また別の形で、生まれかわってくるものでありますから、長い長い前世においては、すべての生きとし生けるものは、いつかはわが父母であり、わが兄弟であったことは必ずあると思われるのです。それゆえ、われらが死んで極楽浄土へ行き、仏になったとき、今生のわが父母、わが兄弟ばかりではなく、すべての生きとし生けるものをたすけなければならないと思うのです。〕(第五条)

と説いた一節があります。




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