ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.1.12


. 春と修羅・初版本

54どうかこれが天上のアイスクリームになつて
55おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
56わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

じつは、「永訣の朝」末尾の↑この3行は、【印刷用原稿】では、最初次のようになっていたのです:

「どうかこれが天上のアイスクリームになるやうに
 わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」

つまり、印刷所に原稿が渡された段階でも、ここに「みんな」は、無かったのです。【印刷用原稿】は、その末尾まで、雪を「たべる」「おまへ」と、「ねがふ」「わたくし」のふたりの間のできごととして描かれ終結していたのです。

もちろん、「おまへがたべるこのふたわんのゆき〔…〕が天上のアイスクリームになるやうに」とありますから、「わたくし」の願いは、「おまへ」の行く「天上」世界にまで広がっているわけですが、それにしても、“いま「おまへ」が食べる雪が、天上で「おまへ」が食べるアイスクリームになれ”と言っているわけでして、それは【印刷用原稿】では、最後まで、「おまへ」ひとりの幸いを願っていたのです。☆

☆(注) そのことは、1924年2月7日に、賢治から、おそらく加筆前の【印刷用原稿】で「永訣の朝」を読み聞かせられて、感想を述べている斎藤宗次郎の日記記述(『二荊自叙伝』)からも窺われます。斎藤によれば、「〔…〕此の雪よ妹が天に帰り行かば其処にて美味なるアイスクリームになれよとも祈った」とあって、あくまでも、他界へ去って行く妹に“美味しいアイスクリーム”を持たせてやりたいという願いなのです。斎藤は、この段階での賢治自身の詩想の説明も聞いて、書いていると思われるからです。もし仮に、“妹のみならず、すべての人の幸いのために”というような考えが述べられていれば、卓越したキリスト者斎藤が聞き逃すはずはないと思うのです。杉浦静『宮沢賢治 明滅する春と修羅』,1993,蒼丘書林,p.89. なお:画像ファイル:求庚堂(跡) 6.1.15

その後、「おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに」という文句が挿入されたことによって、「わたくし」と「おまへ」だけの世界として描かれていたこの詩の最後に、いきなり「みんな」が登場することとなったわけです。

このように「みんな」が挿入されて、《初版本》のようなテキストになったのは、おそらく印刷が相当進んだ段階だったと思われます★

★(注) 「おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに」を加入した時期は、【印刷用原稿】への加筆によって確認できます。上記の【印刷用原稿】のテキストの欄外に、最初は、「おまへとみんなとの至上福祉をもたらすやうに」という挿入文句が書かれ、さらに、「至上福祉」が「聖い資糧」に訂正されています。これらの加筆は、『新校本全集』の校異によれば、「他の手入れとは別のブルーブラックインクによ」ってなされているので、清書した【印刷用原稿】全体に誤字の訂正などの手入れを施した時点よりも後に、おそらく印刷途中の段階で、この部分を書き足したことが考えられます。その書き足しの時期ですが、斎藤宗次郎の回想記『二荊自叙伝』によれば、1924年2月7日に宮澤賢治を訪問した時、すでに「印刷の成りし百頁近くの校正刷」ができていたが、「永訣の朝」は、「執筆中の原稿」「の半ば頃を」開いて読んで聞かせたとあります。その内容は、斎藤によれば、「〔…〕此の雪よ妹が天に帰り行かば其処にて美味なるアイスクリームになれよとも祈った」。この時点ではまだ印刷は「永訣の朝」に及んでいなかったことが窺われ、また、【印刷用原稿】は「おまへとみんな‥」の“挿入加筆”より以前だったと思われます。杉浦静『宮沢賢治 明滅する春と修羅』,pp.88-90. したがって、55行目の“挿入加筆”は、1924年2月7日から4月20日(《初版本》発行日)までの間と推定されます。
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