ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.1.10


そうすると、「無声慟哭」とは対極的な位置にある「永訣の朝」のほうは、どうなのでしょうか?

もし、「永訣の朝」に“浄らかな涙”があるとすれば、それは、率直な真情の吐露とだけ考えていいのか?? むしろ、そこにこそ、作者の鬱屈した気持ちが隠されているのではないか?‥

もう一度、「永訣の朝」の冒頭の部分を引用しますと、次のようです:

. 春と修羅・初版本

01けふのうちに
02とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
03みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
04 (あめゆじゆとてちてけんじや)
05うすあかくいつそう陰惨な雲から
06みぞれはびちよびちよふつてくる
07 (あめゆじゆとてちてけんじや)
   〔…〕
14蒼鉛いろの暗い雲から
15みぞれはびちよびちよ沈んでくる


ここで、「みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ」「うすあかくいつそう陰惨な雲」「蒼鉛いろの暗い雲」は、妹の死に臨んだ単なる悲しみだけではない、なにか鬱屈した陰惨な作者の心情を予告しているように思われます。

後半に移りますと:

. 春と修羅・初版本

28…ふたきれのみかげせきざいに
29みぞれはさびしくたまつてゐる
30わたくしはそのうへにあぶなくたち
31雪と水とのまつしろな二相系をたもち
32すきとほるつめたい雫にみちた
33このつややかな松のえだから
34わたくしのやさしいいもうとの
35さいごのたべものをもらつていかう
36わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
37みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
38もうけふおまへはわかれてしまふ
39(Ora Orade Shitori egumo)
40ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
41あぁあのとざされた病室の
42くらいびやうぶやかやのなかに
43やさしくあをじろく燃えてゐる
44わたくしのけなげないもうとよ
45この雪はどこをえらばうにも
46あんまりどこもまつしろなのだ
47あんなおそろしいみだれたそらから
48このうつくしい雪がきたのだ
49 (うまれでくるたて
50  こんどはこたにわりやのごとばかりで
51  くるしまなあよにうまれてくる)
52おまへがたべるこのふたわんのゆきに
53わたくしはいまこころからいのる
54どうかこれが天上のアイスクリームになつて
55おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
56わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
.
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