ゆらぐ蜉蝣文字
□第5章 東岩手火山
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5.5.15
他方、宮殿では、アルフォンソから事情を聞いた新婦が、捨てられて唖になった少女に同情し、なぐさめるために被害者を呼んで来るよう命じます。
しかし、命令を受けた将校は、フェネッラを捕えて宮殿へ引きたてようとしたので、これを見て激昂したマサニエッロと漁民たちは、「もう我慢ならない、スペイン人を倒すために今夜立ち上がろう!」と叫んで兵士たちに襲いかかり、暴徒と化した民衆は宮殿を襲撃します。
革命は成功し、マサニエッロは権力を掌握しますが、
彼の支配のしかたは甘すぎる、町の金持ちを処刑せよ、とブルジョアジーへの“復讐”を求める民衆とマサニエッロとのあいだに亀裂が生じ、マサニエッロは仲間に毒を盛られた上、暴徒と化した民衆に殺されてしまいます。
そして、マサニエッロが殺されたことを知ったフェネッラも、折から噴火したヴェスヴィオ火山の溶岩(?!?)に身を投じて自殺します。
このオペラの結末は、‥なぜか、たまたまヴェスヴィオ火山が噴火して、しかもその溶岩が、宮殿の中に流れ込んできて。。。、と、メチャクチャなんですが、
そのメチャクチャが、なぜか大人気を呼んでw★、パリ・オペラ座だけでも、初演後12年間に100回の上演を記録しています。‥ばかりでなく、
★(注) “火山の噴火と溶岩”みたいな大がかりな終幕舞台は、日本でも、唐十郎の《赤テント劇場》とか、流行るときは流行るのですねw
1830年には、ベルギー・ブリュッセルで、このオペラを見ていた観客が暴動を起こし、それをきっかけにオランダの支配が覆され、ベルギーが独立するという事件さえ起きています。
劇中のデュエット:
「祖国への聖なる愛よ
われらに不敵と誇りとを取り戻させよ;
われはわが生命を祖国に負う
されば、われ祖国に自由を獲らしめん」
を聴いて昂奮した観客は、第3幕で、マサニエッロ役がまさかりを手に:
「復讐に走れ、みなの者!武器を、銃を!われらの目覚めが、われらの苦しみを終らせるために!」
と叫んだとき、
「武器を取れ!武器を取れ!」
と応じて合唱し、オペラの閉幕は、暴動の開始となったのでした(以上、ドイツ語版ウィキ)
このように、オーベールのオペラは、19世紀前半には、ヨーロッパ各国で熱狂的な人気を博したのですが、同世紀後半以後は、ほとんど上演されなくなってしまったそうです(日本語版ウィキ)
そこで、20世紀の宮澤賢治は、はたして、このオペラを見たことがあったのだろうか?‥見ていないのではないか?‥という疑問が生じます。。。
それでは、賢治は、どうやって「マサニエロ」という名前を知ったのか?
20世紀について言うと‥
じつは、1916年に、オーベールのオペラを基にした無声映画が、アメリカで作られているのです。
「ポルチシの唖娘」(The Dumb Girl of Portici)という・この映画は、ユニバーサルFMC 製作・配給、アンナ・パヴロワ主演、アンソニー・スライド監督、1916年4月3日アメリカ合衆国で公開、ということなんですが、
もちろん、映画に詳しくないギトンには、なじみのない名前ばかりです。
映画をよくご存知の方には、↑おなじみの女優と監督なんでしょうか?‥
しかし、この映画は、同じ1916年に日本でも公開されています。10月21日に東京・浅草公園六区の《帝国館》を皮切りに、全国で公開された、とあります(日本語版ウィキ)
そうすると、宮沢賢治が見たのは、この無声映画のほうなのではないか?‥とギトンは思うのです。
そこで、映画のスジは、もとのオペラと、どのくらい違うのだろう‥ということが気になります。。。
しかし、残念ながら、今のところ映画「ポルチシの唖娘」のプロットについては、2行程度の簡単な紹介記事しか見ることができません☆
☆(注) 英国映画協会のフィルム・アーカイヴが、上映用フィルム全9巻を所蔵している、とのことですが、日本では見る手段が無いかもしれません。
しかし、その紹介記事を見ると、もとのオペラとはちょっと違う筋書きになっているようなのです:
公子アルフォンソの玉の輿に乗った貧しい漁師の娘フェネッラ、そして、一転捨てられたフェネッラの悲劇が、中心になっているのではないかと思われます。
しかも、無声映画ですから、日本の弁士の口上で、どうにでも内容は変えられてしまいます。
なんとなく‥どんな風に上映されたか、想像がつきますよねw
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