ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.5.14


そして:

「 (なんだか風と悲しさのために胸がつまる)
 ひとの名前をなんべんも
 風のなかで操り返してさしつかえないか」

「マサニエロ」は、ナポリ反乱の首謀者で、オペラの登場人物の名前ですが、
皇室に叛旗をひるがえすかのような文章が筆禍を起こして☆、放校処分を受けた保阪嘉内の運命が想い起こされているかもしれません。

☆(注) それどころか、保阪は、実際行動としても、他校の同志と連絡を取り合って、高等農林への“軍事教練導入反対運動”の先頭に立っており、宮澤賢治ほか《アザリア》メンバーの何人かは、保阪と行動をともにしていたと推測する人もいます。ただ、これは今のところ、資料的裏づけが十分でなく、単なる推測にとどまっています。

これをピークとして、
教師としての自分の役割を思い出し、現実意識に引き戻されたあとは、

「横からはいる」「烏の群」と、
「羽織をかざしてかける日本の子供ら」、つまりスズメとが、せめぎ合ったのち、

作者の視線は、ひとたび決定的に“ロシア”へと飛んで行きます。

そこで、“チエホフのロシア”──あの荒涼たる原野を横断する恐怖の旅路が、一瞬にして甦り、(チェーホフの描く・ナマの人間の恐ろしさがよみがえり)
そのまま舞台は、対中国戦線へ、「烏」の編隊による空中戦へと転換します。

賢治から見れば、“思想犯”の烙印を押され放逐された起死回生の手段として、不死鳥が身を翻すようにして志願兵役へと進み、今は在郷軍人会と、軍事教練を含む青年教育を足がかりに、‘人生の刷新’を企てている元・同志──保阪の生きざまが、視野に浮かんでいるのかもしれません。

さて、このように読んでみると、この作品を、さらに深読みしたい誘惑に襲われます。
しかし、作品テキストとも、作者の生涯とも無関係なことがらを持ち込むことは、さけるべきでしょう。

そこで、この作品テキストに現れた重要語句──題名の「マサニエロ」自体を、以下では、掘り下げてみたいと思います:




1647年ナポリ反乱
民衆に訴えるマサニエッロ


マサニエッロ Masaniello ──本名:Tommaso Aniello d'Amalfi 1620-1647 ──は、南イタリア・ナポリの漁師兼小売り商人でしたが、当時この地方は、スペインのハプスブルグ王家の属領として、副王アルコス公に支配されていました。

30年戦争(1618-1648)のあいだスペインの支配と重税に苦しんだナポリ住民は、1647年アルコス公が新設した食料品に重税を課す布告をきっかけに、7月7日、「子どもたちに食料を!税金をなくそう!」というマサニエッロの呼びかけに応じて、税務官庁を襲って焼き払い、勢いに乗じて副王宮殿を占領しました。アルコス公はナポリを放棄して逃走、マサニエッロは、約10日間、反乱の首領としてナポリの全権を掌握します。

しかし、まもなくマサニエッロは発狂して、でたらめを口走るようになり(副王側の策略で毒を盛られたため、という説があります)、激昂した民衆は、マサニエッロをなぶり殺してしまい、こうしてナポリの反乱は収束しました(英語版・ドイツ語版ウィキの要約)

このナポリ反乱とマサニエッロを題材とした戯曲やオペラは、いくつかあるのですが、なかでも有名なのは、フランスの作曲家オーベール(Daniel-François-Esprit Auber)のオペラ「ポルティチの唖娘」(1828)です。

オーベールのオペラは、マサニエッロの妹フェネッラ(架空)を中心に据えています。
フェネッラは、アルコス公の息子アルフォンソに誘惑されて愛人になりますが、アルフォンソは貴族の娘と結婚するためにフェネッラを捨て、フェネッラはショックで口が利けなくなってしまいます。

フェネッラから一部始終(身振りで)を聞いたマサニエッロは憤慨し、仲間の漁師たちとともに、スペイン人への復讐を誓います。
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